「人を幸せにすると自分が幸せになれる」という記事を紹介します。私はまったくその通りだと思っています。それは人生の目的とも一致していると思います。
人を幸せにすることが、自分が幸せになる方法の1つです
人との関係によって感じられる幸せがあります。・人の役に立つ幸せ ・人に感謝される幸せ ・人に良いことをした時の幸せ ・誰かに必要とされる幸せ ・人といっしょに味わう幸せ ・人の幸せを見る幸せ ・愛し合う幸せ
ひとりでは味わえない幸せがたくさんあります
人はひとりでは生きていけません。互いに助け合って生きています。そして、人は自分の幸せを、まわりの人を見て意識していることがあります。自分の身近な人が不幸なのに、自分ひとりだけが幸せなのはおかしなことです。周囲の人の幸せが自分の幸せに影響し、自分の幸せがまわりの人の幸せに影響を与えます。自分のまわりの人を幸せにすることは、自分が幸せになる方法なのです。
ふたりだと悲しみは半分になり、喜びは倍になる
悲しみが半分になるのは幸せなことです。同様に、「苦労を共にする」という言葉があります。苦労をするということは不幸なことかもしれません。しかし、人と苦労を共にすることには明らかに幸せが含まれています。
人と一緒だと幸せが大きくなります
幸せの表現が倍になります。ひとりでは見えない相手の幸せそうな言動は、自分の幸せを倍以上に感じさせてくれます。そして、それぞれの幸せの表現は互いに共鳴し、より大きな幸せを感じることができます。
人を幸せにすることを考えている時間は幸せなときです
人を幸せにした時には確かな幸せを感じられます。人を幸せにすることで、幸せに過ごせる時間が確実に増えます。「人を幸せにすれば、自分が幸せになれる」と「自分が幸せになるために、人を幸せにする」は考え方は少し違いますが、やることと結果は同じです。どちらでも自分にとって、人を幸せにしやすいほうの考え方を選択して、人を幸せにすることで自分が幸せになろう。(サイトからの引用は以上です。)
幸いな人生
イエスは神様を中心にして、人を愛して生きるようにと教えました。それが幸いな人生であり、人生の目的であり、私たちの存在意義であり、救いと言うことができると思います。何ができるかということよりも、大切なことは心の向きではないでしょうか。自分のことばかり考えているなら、不満がなくなることはないでしょう。しかし、笑顔一つでも人々を幸せにすることはできると思います。
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 使徒の働き 13章32~43節
私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。
詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える』というように言われていました。
ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』 ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。
しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。ですから、預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。
「見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。
わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。
それは、おまえたちに、どんなに説明しても、
とうてい信じられないほどのことである。』」
ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。
神様の良い知らせ
神様がイスラエルの父祖たちにされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているとパウロは言いました。それはイエスによって私たちの罪が赦され、神様を中心として生きることができるようになったということだと思います。それはまさに神様の恵みだと思います。
その救いと命にあずかる人生
いつまでも、この神様の恵みにとどまること。すなわち、自分を中心にして滅びてしまうような生き方をするのではなく、神様を中心にして、その救いと命にあずかる人生を生きることが大切だと思います。
神様の恵みにとどまる
私たちの罪のために十字架に死んだイエスを神様はよみがえらせました。それは著者の違う複数の古文書に記された出来事であり、その信憑性は高いと私は思います。そのような神様は確かにおられるということだと思います。それは、かつて神様がイスラエルを通して全人類に与えた約束だとパウロは言っているのだと思います。この神様の恵みにとどまり、神様を中心とした生き方をしましょう。