「恋愛、結婚」について、私と同じような考えの方がいらっしゃいましたので、ポイントをまとめてご紹介したいと思います。まずこのように書いてありました。
結婚前の恋愛にストップ!
「結婚したい、彼氏ほしい……この2つの願望は似て非なるものです。結婚したいなら、恋愛しているヒマはありません。恋愛ではなく婚活するのが正解です」
結婚前の恋愛にストップをつきつけるのは、『37歳からの婚活』の著者であり、結婚相談所を経営する大西加枝さん。
「特に、アラサー以上で現在彼氏がおらず、結婚願望がある人は、恋愛するなど自殺行為としか言えません。『早く彼氏見つけなきゃ』なんて思っている人は、結婚しない道へ足を踏み入れているようなものです」
結婚の目的を共有する
「結婚する際に、最も大切なことは『どんな未来を作りたいか』を事前に話し合うということです。結婚は、時には50年にも及ぶロングプロジェクト。億単位の予算(家計)がかかってくるものでもあります。
このプロジェクトを成功させるためには、共働きにするのか、子供が生まれたらどうするのか、家はどこに構えるのか……といったビジョンの擦り合わせが結婚前に必要です。冷静にじっくりと話し合わなければなりません。
しかし、恋愛中というのは、いわば“酔っぱらっている状態”です。それもほろ酔いではなく泥酔状態。冷静な判断ができない状態です」
「今の日本の離婚率の高さは、結婚前にきちんとした話し合いを持たずに恋愛結婚した方たちが作り出しているものだと思います。実際、お見合いで結婚するカップルのほうがずっと離婚率は低いんですよ。
結婚相手を探す ≠ 恋人を探す
結婚前の恋愛には、さらなるリスクがあります。それは、悲しいお話ですが、好きな人と出会い、無事交際まで辿り着いたとしても、その人が結婚したいとは限らない! ということ……。
「仕事の場や合コンなどで出会った場合、相手に結婚の意志があるのかどうかすらわかりません。あるとわかったとしても、1年以内に結婚したいのか、それとも2~3年のうちなのかといった結婚したい時期は別問題になってきます。
大切なのは結婚後の生活
結婚は結婚後の生活を愛情豊かに過ごすことが大切なのであって、結婚前の恋愛が大事なのではないですよね?
結婚前の恋愛にこだわるのは、就職活動の際に行きたい会社や就職してからやりたいことが決まっていないのに、スーツにこだわってお金をかけるようなものです」
結婚したいなら、“彼氏になってくれそうな人”ではなく、“結婚相手として最適な人”を探すべきなのです。
少々、夢のない話になってしまったかもしれませんが、十数年経った後には、「情熱的な恋愛ではなかったけれど、深い愛情に包まれたこの落ち着いた幸せを手に入れられて良かった!」と思うはずです。(サイトからの抜粋は以上です。)
神様を中心に結婚を考える
いかがでしたでしょうか。この方は「神様を中心に」という言葉は使っていませんが、これまで私がこのブログでお伝えしたい内容そのものだと思いました。結婚だけでなく、神様を中心にして生きるとは、本当に良かったという人生に他なりません。その時の自分の思いや感情だけで生きるなら、後悔することになってしまうのではないでしょうか。どうぞ参考にしてみてください。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 使徒の働き 14章1~6節
イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人々が信仰に入った。しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。
それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた。ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。
異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた。
パウロの話
パウロとバルナバが伝えたのは、イエスがメシヤであり、神様を中心にして生きるようにという話だったのではないかと思いますが、ユダヤ人には新しい宗教のように感じたのかもしれませんし、パウロもユダヤ教ではない、新しい宗教だと伝えたのかもしれません。受け入れる人も多くありましたが、ユダヤ人の中には受け入れない人も多くあり、対立が起こりました。
求められる謙虚さ
誰でもこれまでの生き方を否定されるのは抵抗があることで、ある程度の反対があることは止むを得ないことではないかと思いますが、本当に正しい生き方とは何か、本当に悔いのない幸せな人生とは何かということを考えるなら、いつまでも自己正当化するのではなく、謙遜になって方向を変える、中心を変えるべきだろうと思います。
宗教ではなく生き方
しかし、それは新しい宗教を始めることを意味していないと思います。これは宗教の問題ではなく生き方の問題だと思います。ユダヤ教徒はユダヤ教徒のままで良かったのだと思います。パウロはどういう言い方をしたのか分かりませんが、イエスは一度もユダヤ教を止めて、新しい宗教を信仰しなさいということは言いませんでした。自己中心を止めて、神様を中心とするようにと教えたのだと思います。