そう感じる人が増えているそうです
「人間関係」が難しくなっていると感じる人が増えているようです。だいぶ古い統計ですが、2004年の内閣府の調査によると、人間関係が難しくなったと感じる人の割合は6割以上という結果だそうです。今はもっと増えているのかもしれません。
その理由は?
その理由を見ると、人々のモラルの低下(55.6%)、地域のつながりの希薄化(54.3%)、人間関係を作る力の低下(44.5%)、核家族化(41.8%)、ビデオ・テレビゲームの普及(38.8%)、親子関係の希薄化(32.3%)、学校など教育環境の悪化(27.5%)、職場環境の悪化(11.6%)、兄弟姉妹の不在(11.3%)などが挙がっています。
自分を中心とする価値観が問題だと思います
簡単に言うと、自己中心的な人が増えたからではないでしょうか。自己中心は人間関係を難しくし、自己中心的な人が多い社会は不愉快なことが多い社会になってしまうと思います。本来、日本社会は自己中心ではなく、お互いを労わり合う社会だったと思います。家庭と社会の教育力が低下しているというか、自分を中心とする価値観が強くなっているのではないかと感じます。
人に関心を持つ社会
人間関係は気も使うし、面倒くさいことかもしれません。しかし、それは関心が自分にしかないからでしょう。人の役に立てる、人のお世話をできることは、本来、嬉しいことだったのではないかと思います。そこに自分の存在意義もあり、そのような人たちで成り立つ社会はとても快適な社会ではないかと思います。
身近な人間関係を丁寧に
まだよく知らない人との会話は慎重にするのが普通だと思います。(最近ではそうでもない人が増えているのかもしれません。言語道断だと思います。) しかし、親しくなると遠慮がなくなり、相手の気持ちを考えずに発言しがちです。夫婦であるとか、親子であるとか、恋人や親しい友人であるとか、そのような親しい人間関係こそ丁寧にしてみてはいかがでしょうか。
優しさ、労わり、相手への配慮
その言葉には優しさがあるでしょうか。労わりや相手への配慮があるでしょうか。身近な関係において、いつもそのように考えることによって、私たちのコミュニケーション力は成長するのではないでしょうか。一朝一夕にはいかないかもしれません。長い歴史の中で培われて来た日本人の心が急速に失われているのではないかということを危惧しています。まだまだ手遅れではないと思います。今こそ自分を中心にしないで、人への配慮を大切にしてみましょう。
それは神様を中心にすること
それは周りの人を中心にすることでもありません。それでは、ストレスがたまる一方だと思います。そうではなく、神様を中心にすることに他なりません。何が正しいことなのかということを中心にすることです。自己中心は正しくありません。それは自分も人も社会も滅ぼしてしまいます。他者への配慮は正しいことです。それは神様を中心にすることだと思います。
それでは今日も聖書の続きを読みましょう
ストレスをためずに、良い人間関係や社会を築き、自分も喜びをもって生きるためには、いつも神様に思いを向けていることが大切だと思います。毎日、時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことをお勧めします。そうすれば、神様を中心にした生き方が板について来ると思います。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる参考になると思います。
新約聖書 使徒の働き 22章6~10節
ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。
そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。
パウロの話の続き
反対するユダヤ人に向かって話したパウロの話の続きです。群衆はパウロがヘブル語で話し始めたので、静まって聞きました。私もあなたがたと同じユダヤ人であり、ユダヤ教に熱心な者であるとパウロは対決的な議論ではなく、共感的に話しました。
神様の思いを中心にする
私自身はこのような経験がないので、文字通りこのようなことがあったのかどうかは分かりません。ただ言えることは、それはパウロの中から出て来た考えではなく、イエスがパウロに語り掛けた出来事だということだと思います。神様を中心にして生きるとは、自分の思いや願いを中心にするのではなく、神様が自分に示す思いを中心にするということだと思います。
パウロは神様の思いを中心にした
パウロにはパウロの思いや願い、計画があったと思います。ダマスコにやって来たのも、パウロの思いを中心にしてやって来たのです。しかし、そこでイエスがパウロに語られ、パウロの思いではなく、神様の思いに出会ったことは確かなことだと思います。その後、パウロは自分ではなく、神様の思いを中心にして生きる人になります。そのことを率直に群衆に語ったのではないでしょうか。
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