「生きる意味や目的を見失う理由と対処法10選」というサイトからご紹介します。
生きる意味や目的を持っている人間は、生きているだけで儲けもの、といわんばかりに生きる事に活き活きとしています。しかし、生きる目的を持っていない、生きる目的が見つからない人も沢山いるのです。
1.孤独
孤独であると、他人から必要とされない、他人と共感ができないために生きる意味が無くなりやすいです。自己評価が低くなってしまい、生きていても無意味に感じてしまいます。
2.暇
それまでは働きたくない、と労働を拒み生活保護を受給し、一生税金による生活保障が得られたものの、働く必要が無くなり、生きる目的が無くなってしまった例もあります。趣味を持つ、他人と交流をする、仕事を持つ、など充実させる事で解消ができます。
3.忙殺されている
多忙であるために趣味も持てず、快眠も得られない、家庭を作る暇も無い、食べ物を味わう暇も無い、これでは働くために生きている無意味な人生だ、と悲観的になってしまいます。解決策としては、休みを得る、労働局に密告か相談を、最終的には働き先を見直してみましょう。
4.無気力
自分の欲望を我慢し続けると諦める事が当たり前となり、人生すらも諦めてしまいます。今一度、自分を開放的にしてあげ、やってみたいことをやってみましょう。ケーキを食べたい、とのちっぽけで下らないと思う願望でも、叶え続けると精神が健康になり、生きる目的について悩まなくなります。
5.大切な物を失ってしまった
それまで大切にしていた家族、友人、恋人、ペット、趣味、自分の健康などを失ってしまうと途端に生きる意味が無くなってしまったように感じます。失くした虚しさは、時が解決してくれる事も、別の物を得る事で解決する事も
6.マイナス思考
生きる理由よりも、死ぬ理由の方が多い人もいます。ポジティブ思考になれる本を読む、明るい人の考えを取り入れる、自分でポジティブになろうと気をつける事で解消ができます。(サイトからの引用は以上です。)
生きる意味を考えることは良い事です
「生きる意味なんてあるのか」と考える事は良い事だと思います。あなたがこの世界に生まれて来たのは決して偶然ではありません。それは人間を中心に考えていたら分かりませんが、神様を中心にすれば分かります。私たちは神様のために生きる時に、生きる喜びを感じるように出来ていると思います。
神様を中心にして生きる
神様を中心にして生きるために、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことをお勧めしています。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きるための参考にしていただきたいと思っています。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 使徒の働き 22章23~30節
そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。
彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」
これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ人です」と言った。
千人隊長はパウロのところに来て、「あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ」と言った。パウロは「そうです」と言った。すると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ」と言った。
そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です」と言った。このため、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖でつないでいたので、恐れた。
その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。
わめき立てる群衆
パウロに反対するユダヤ人の群衆がパウロの話を聞いてわめき立てたので、ローマの千人隊長は騒ぎを収めるためにパウロを兵営の中へ入れました。騒ぎの原因はユダヤ人の宗教と風習に関する事であり、ローマの千人隊長の知るところではありませんでした。それでも、これほどユダヤ人の群衆がパウロを訴えるのですから、きっと凶悪犯罪者に違いないと思ったかもしれません。
私たちの感情
パウロは自分がローマ市民であることを主張しました。それによって物事が感情的に処理されるのではなく、ローマの法の下で公正に判断されることを意図したのではないかと思います。感情は私たちの人生に潤いも与えますが、落胆を与えることもあります。決して感情自体は良い悪いというものではなく、一つの反応であり、私たちを突き動かす力にもなります。しかし、感情を中心にしてしまうと、私たちは正しい判断が出来なくなってしまうと思います。感情はありますが、それはひとまず脇に置いて、神様を中心にすることについて考えてみていただきたいと思います。
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