自立に向かう
長男22歳。長女18歳。次女17歳。長男は大学生でしたが、長女と次女はアルバイト。将来の仕事について考える時期になっていました。長女は手先が器用で、根気のいる仕事も出来、よく細かい消しゴムはんこを彫っていましたので、これを仕事に出来ないものかと考えたり、次女は調理が好きで、よく天然酵母のパンを焼いたりしていましたので、これを仕事にできないものかと考えたりしていました。また、何か起業の参考になるのではないかということで、妻が起業セミナーに参加したりしていました。
東日本大震災
2011年3月11日14:46頃、私は職場で会議中でした。長男は埼玉。次女は教習所にいました。教習所の壁が崩れ落ち、次女はここで死ぬのかと思ったと言います。妻と長女は家にいましたが、家が倒れると思い、庭に避難したそうです。しばらくは余震も続き、寝ている間に家が潰れたら困ると思い、キャンピングカーの中で夜を過ごしました。これからどうなって行くのだろうという感じがしました。
震災後
震災後、起業の話はいつの間にかストップし、長女は就職、次女は通信制の大学に入学しました。将来について、家族で協力して起業するというよりも、それぞれの道を模索し始めたように思います。
それぞれの道
その後、長男は大学を卒業し、埼玉県で就職して仕事を始めました。次女は通信制の大学生をしながら、モンゴルで3ヵ月、中国で1年過ごしました。長女はタイ、インド、ネパールを旅行したのをきっかけに退職してインドへ、そしてネパールに行く直前にネパールで大地震が起こり、一時帰国。落ち着くのを待ってネパールへ行き、合計1年くらいインド、ネパールで過ごしたと思います。
我が家の今
その後、長女は中国で3ヵ月くらい過ごして、現在は長女も次女も日本で一緒に暮らしています。長女はアルバイトをしながら、次の仕事について考えているようです。次女もアルバイトをしながら、間もなく通信大学を卒業し、教員を目指しています。
「吉村ミニストリー」はいずこへ
こうして振り返ってみると、家族が協力して、誰かが仕事をして生活費を稼ぎながら、神様のことを伝える「吉村ミニストリー」の計画がいつの間にかなくなってしまったように思います。子供達が成人して、収入を得ることができるようになったら、今度は私が仕事を辞めて、またフルタイムで神様を伝える仕事ができると考えていましたが、子供達は大人になるにつれて、それぞれの計画を持つようになって行ったように思います。まあ、そういうものかもしれませんね。
子供自らが考えて進む
親の願いを子供に強く示すのも一つだと思いますが、最終的には子供自身が自分の人生を選んで進むようにと私は考えていたように思います。どちらが良かったのかは分かりませんが、神様を中心にして今日までやって来たのだから、それで良いではないかと思っています。でも、まだゴールインした訳ではないので、これからどのように導かれて行くのか、それはまだまだ分からないという気もします。これからもひたすら神様を中心にして歩んで行きたいと思っています。
それでは聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書には必ずしも正解が書いてある訳ではありませんが、神様を中心にして生きようとした人々の記録が記されていて大変参考になると思います。実は日本人の信仰のルーツも聖書にあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために、聖書を読んでいただきたいと思っています。
新約聖書 使徒の働き 25章13~22節
数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。
「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。
そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない』と答えておきました。そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。
訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。
このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか』と尋ねたところが、パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」
すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください」と言った。
アグリッパ王
アグリッパ王とはユダヤの王様でヘロデ・アグリッパという若い王様だったようです。妹のベルニケとともに新しく就任したローマの総督フェストを訪問したのだと思います。フェストはパウロの一件について、どう理解したら良いのか皆目分からなかったので、アグリッパ王に伝え、何か情報を得たいと思ったのかもしれません。
パウロに関心を持った
しかし、アグリッパ王もパウロについて良く知らなかったようです。フェストの話を聞けば、ユダヤ教に関することであり、体制側の人たちが問題視しているということで、パウロに関心を持ったようです。信仰的な意味で関心を持ったのか、政治的な意味で関心を持ったのか、それは分かりませんが、このような人々の関心にも神様の思いは働いているのかもしれません。