「心に響く言葉・やる気が出る名言27選」というサイトから、「生きる意味」を考える上で、なるほどと思った名言をご紹介いたします。参考になれば幸いです。
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。」(井上靖)
私たちはいつも乗り越えるべき課題を持っているものだと思います。それを乗り越えた先にある希望に目を留めるのか、それとも言い訳を探すのか。それは大きな違いになると思います。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。」(小林一三)
大きな仕事を成し遂げるかどうかということより、今、神様から与えられている仕事を忠実に行うことが大切なことだと私も思います。神様はそこを見ておられるのではないでしょうか。
「お前の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ。」(ダンテ)
神様から与えられている使命は人それぞれだと思います。他人との比較ではありません。ひたすら神様を見上げて歩むことが大切だと思います。
「二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た。」(フレデリック・ラングブリッジ)
その人が幸せであるかどうかは、その置かれた状況に左右されるものではないようです。どこに置かれていても、そこにも神様が共におられることを自覚するなら、幸いな人生になるでしょう。
「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。」(ジョージ・バーナード・ショー)
確かに人生は説明ではなく、実際に生きることだと思います。
「天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきことは生活を正すことにある。」(孔子)
正しく生きること。それが神様を中心にすることであり、人生の目的だと思います。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ。」(スヌーピー)
現実を受け入れることが大切ですね。全てはそこから始まると思います。現実を受け入れられなければ、いつまでも前進できないと思います。
「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子)
「今を変えなければ、未来は変わらない。」(五郎丸 歩)
「将来を思い煩うな。 現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。」(アミエル)
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。」(ルター)
もっとこうだったら、もっとああだったら。そうではないようです。神様は生きておられます。全ては神様の支配の中で今があるのです。あるがままの現実を受け入れて、神様を見上げて、出来る最大限のことをする。それで良いということだと思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。とても参考になると思います。
新約聖書 使徒の働き 27章9~26節
かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。
しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航海した。ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。
しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。
私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。
だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。
しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。
『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」
必ずしも信頼できない
航海士や船長など専門家の意見を信用するのは普通だと思います。私もそうするだろうと思います。しかし、必ずしも専門家の意見が信頼できるとは限らないようです。彼らは危険を知っていたのではないかと思いますが、それよりも冬をその港で過ごしたくないという思いを優先させ、間違った判断をしまったのではないでしょうか。
パウロの警告
パウロはそのことに気づいたので、警告したのではないかと思います。彼らは何が正しいことなのかという神様の思いを中心にしないで、そこで冬を過ごしたくないという自分の思いを中心にして判断している。パウロはそこに気づいて警告したのではないでしょうか。
出来る事をやろう
案の定、船は暴風に翻弄され、危険な状態になってしまいました。しかし、パウロはそのような現実の中で、いつまでも過去にとらわれて、文句を言ってはいません。現実を受け入れて、出来る事をやろうと全員に声をかけています。そこにも神様が共におられることをパウロは確信していました。神様を中心にしましょうと励ましたのだと思います。
いかがでしたでしょうか
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