これからは日本人の時代

行列のイメージ

『行列に並ぶのは当たり前 日本人の国民性は外国人の「理想像」?』というサイトから、「グローバル化時代は日本人の時代!?」という記事をご紹介いたします。

グローバル化の時代は日本人の時代

日本人は列の最後に並ぶ。この「常識」に憧れる外国人が増えている。多様な文化や価値観が国境を越えて交流するグローバル化時代になればなるほど、実は、日本人の時代になるような気がする。

「人間らしい生き方」の「理想像」

形式ばったものや儀礼的な部分は排除された、本質的な部分での日本人の「強さ」や「優しさ」とか、真面目で勤勉で、お互いに助け合おうという日本人の国民性が、徐々に、そして、確実に世界の人々に知られていき、「人間らしい生き方」の「理想像」として、今や崇拝されつつあるとまで感じる。

「人間としてどうか?」

よくよく考えてみると、もともとの文化や慣習から離れて「人間としてどうか?」を判断基準にして言動を行うってことは、普通はやらない言動をする・・・ということになる。もともとの文化や慣習が当たり前な環境では、普通はやらないってことは、つまり、あくまで「理想像」だ。

日本人の国民性

その「理想像」を、多様な文化が交じり合う環境でこういう感じのものだと説明しようとした時に、何か具体例があった方が分かりやすい。そういう「理想像」を説明し、共有しようとした時に、日本人の国民性はもってこいな感じがする。

いっそうの磨きをかけること

たぶん、こういう話もまだ日本で話してる人はいないと思うけど、グローバル化が進み、いろんな国々の文化や価値観が交じり合う環境がどんどん広がっていくと、自然にこの現象に気づく人も増えていくだろう。だから、今の時代、日本人にとってものすごく大事なことは、そういう日本人の国民性によりいっそうの磨きをかけることじゃないかなと思う。(サイトからの引用は以上です。)

 素晴らしい日本人の国民性

これまで、このブログでは日本人と日本文化の素晴らしさをお伝えしてきましたが、文化や習慣が違っても、「人間としてどうか?」という視点から見た時に、日本人の国民性は一つの「理想像」だという意見に私も賛成です。グローバル化がますます進む中で、日本人はそのような日本人の国民性にもっと磨きをかけることが大切ではないかという意見にもまったく同感です。

神様を中心にして生きる

それは自己中心を退け、神様を中心にして生きることで育まれて来た国民性だと私は思います。今こそ神様を中心にして生きるという本来の日本人の心に磨きをかけていただきたいと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の国民性は聖書に基づいていると考えられます。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きるために、聖書を読んでいただきたいと思っています。日本人の心を感じると思います。

新約聖書 使徒の働き 27章35~44節

こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。

十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。

錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。

兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押さえ、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。

神様に感謝をささげる

荒らしに翻弄される船の中で、パウロは人々に食事をとることを勧め、命が失われることはないと断言しました。こう言って、パウロはパンを取り、一同の前で神様に感謝をささげたとあります。全ては神様の支配の下に置かれています。神様の許しがなければ、何一つ起こることはありません。神様を中心にして生きるとは、たとえどんな状況に置かれることがあったとしても、パウロのように神様に感謝をささげることでもあると思います。

私たちがすべきことはしましょう

それは神様に任せて、自分では何もしないということではないと思います。私たち人間がすべきことは私たちがしなければなりません。パウロもそうしていると思います。しかし、何が何でも人間の思い通りにしようとすることは自己中心だと思います。

どんなに力づけられたことか

こうしてパンを食べるパウロの姿に船にいる人々はどんなに力づけられたことでしょう。そこに神様を中心として生きる人がいるなら、その回りの人々に大きな影響を与えることができると思います。

磨きをかけましょう

日本人であるあなたはその人になることができると思います。世界はあなたを待っていると思います。「人間としてどうか?」その「理想像」は神様を中心にして生きる事にあると私は思います。このパウロの生き方が古代日本に伝えられたことを思います。その生き方に磨きをかけましょう。

いかがでしたでしょうか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いいたします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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