人間中心主義が問題だと思います
人は何のために生きるのか。それは人間自身の中にはないので、人間中心にいくら考えても分からないと思います。人も、この世界の全てのものも神様によって意義と目的を持って造られたものですから、神様の目的を中心に考えることが大切だと思います。
生きる意味を見失う時代
しかし、特に戦後は人間中心の考え方が日本を支配するようになり、日本人もまた急速に人生の目的、生きる意味、方向性を見失いつつあるのではないかと心配しています。
日本人と日本文化の素晴らしさ
それでも日本人は世界から見ると、比較的に高い倫理観を持っており、東日本大震災の時にも、そのような日本人の優れた国民性が世界を驚かせたことは記憶に新しいと思います。そのような日本人と日本文化の素晴らしさをこのブログでも毎週火曜日にご紹介していますが、それは古代日本にあったユダヤ人やメシヤニック・ジュー(イエスをメシヤとして受け入れたユダヤ人)の影響によるものだと私は考えています。
神様を中心とした価値観
その特徴は人間中心ではなく、神様を中心とした価値観であり、日本では親から子へと教育によって太古の昔から引き継がれて来たのではないかと思います。
これをお読みください
「しょうじきな でっち が、たんもの に、きず の ある のを、おきゃく に しらせています。この こ は、おとな に なって から、りっぱな あきんどに なりました。」
「こたろう が、ぶんきち の まり を なくして、わびました。ぶんきち は、『あやまち は しかた が ない。』と いって、とがめませんでした。ひと の あやまち は、ゆるさね ば なりません。」
「まさお が、ひろった かね を、おとした こども に、かえしています。ひろいもの を、じぶん の もの に して は なりません。」
これは「修身」の教科書です
これは第一期(明治37年~)尋常小学修身書第二学年児童用から引用したものです。このように何が良いことかを子供たちに明確に教え、神様の前に正しく生きることができるように、かつての日本では教えていたことが分かります。神様を中心とした高い日本人の倫理観は古代ユダヤ人の影響を大きく受け入ているものだと私は思いますが、こうした教育によって引き継がれて来たものでもあると思います。
善悪の基準
大切なことは単に自分の好き嫌いで生きるのではなく、神様の前に善悪の基準を明確にして生きることだと思います。それが人生の目的であり、人間の生きる意味だと思います。
パウロが書いた言葉
パウロという人がエペソにいる人々に宛てた手紙の中にこういう文章があることが新約聖書の中に記されています。「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」(新約聖書エペソ人への手紙2章10節)これが「人生の目的」ではないでしょうか。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、日本人の信仰と生活のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 5章27~30節
『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。
イエスの教え
「姦淫してはならない」という言葉もまたモーセの十戒にあります。ユダヤ人でこれを知らない人はいなかっただろうと思います。しかし、だれでも情欲をいだいて女を見るだけで、もう心の中では姦淫を犯しているとイエスは教えました。
心を問い正す
確かに実際の行動は心から始まるものだと思います。正しい生活をするためには、心から正しくすることが大切だと思います。心の中に悪い思いがあるなら、切り捨てる。いつまでも心の中に悪い思いを抱いておかないことが大切ではないでしょうか。
切って捨てる
目をえぐり出せとか、手を切ってしまいなさいとはとても過激な表現ですが、それは文字通りというよりも、そのような心構えでいて、決して軽く見てはいけないということを言っているのではないでしょうか。悪はどんな小さな悪であったとしても、心の中にあるだけでも悪だということではないでしょうか。いつまでも、それを心の中に抱いていると、それは私たちを滅びへと導いてしまいます。切って捨てて、神様の願い、神様の思い、神様の喜びを中心にして歩みましょう。
これが「人生の目的」
それが「人生の目的」だと思います。悪を行って、良心を欺いて、幸せな人生を生きることはできないと思います。神様を中心にすることが大切だと思います。それは何か特定の宗教を信仰することとはまた違うことだと思います。
いかがでしたか
参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。シェアのご協力もよろしくお願いします。また、「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして正しく生きる幸いを多くの人に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1枚4円。100枚以上で送料無料。)を作りました。どうぞ知り合いの方にお配りください。ご協力をよろしくお願いいたします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。