新島襄の言葉
明治六大教育家のひとりで、同志社英学校(現在の同志社大学)を創立した新島襄という人の言葉にこのような言葉があるそうです。
「人生の幸いは、己れ自ら幸福を得るにあらず。位台(地位)を究るにあらず。富、巨万を量らむにあらず。真道に歩み、身 真道に委ね、真道をもって他人を益するにあり。」
それは神様を中心にすること
人の幸いは正しく生きること。他人を益すること。それは自己中心ではなく、神様を中心にして生きることに他ならないと思います。
幸せな子供達
私は今、幼児教育に携わっていますが、子供達もまた先生の言うことを良く聞き、お父さん、お母さんの言うことを良く守る子供達は心が安定していて、明るく幸せそうに見えます。
幸せそうでない子供達
逆に、我が儘がそのままにされ、好き放題のことをし、ルールも守らない子供達は心が不安定で、いつも不平不満を口にしていて、あまり幸せそうには見えません。
自己中心が不幸をもたらす
私たちは好き放題のことをしているのだから楽しいのではないかと思いがちですが、子供達を見ていると決してそうではないようです。結局、自己中心は周りの人からも喜ばれず、本人も決して幸せではないように見えます。
正しく生きることは良心で分かる
しかし、ルールを守り、親や先生の言うことに従う子供は喜ばれますし、何よりも自分は正しく生きているということは、どんな小さな子供でも、その良心によって分かるようで、自分でもそんな自分に喜びを感じるのではないでしょうか。
幸いな人生
確かに人の幸せは単なる地位や名声ではなく、また財産でもなく、神様の前に正しく生き、また、人のために役立っているという喜びではないかと思います。
自分が中心になっていませんか
「人生の目的」とは何か。「幸いな人生」とはどんな人生なのか。私は自分の思いではなく、神様の願いや思いを中心にして正しく生きることの中にあると思います。もし、生きる喜びがないと感じる人がいるなら、自分が中心になっていないか確認してみると良いのではないかと私は思います。
生きる喜び
旧約聖書には「神様を畏れることは知識の初めである。」とあります。また、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」という言葉もあります。生きる喜びは、神様を中心にして生きることだと思わされます。
神様に思いを向ける習慣
しかし、私たちは放っておけば、自分の思いを中心にして生きている者だと思います。だから意識して、神様を中心にする必要があると思います。そこで、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことをお勧めします。それはクリスチャンになるとか、何かの宗教を信仰することではありません。ポイントは神様を中心にして生きることであり、それは日本人が太古の昔から大切にしてきた生き方だと思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰と生き方のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 6章9~13節
だから、こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
御名(みな)があがめられますように。
御国(みくに)が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
「祈り」に関するイエスの教えの続き
昨日に続いて、イエスにつき従って来た弟子たちに語った「祈り」に関する教えです。このように祈りなさいとイエスは教えたことが記録されています。
神様が中心となるようにという祈り
「天にいる私たちの父」とは神様のことでしょう。イエスは神様を「父」と呼んでいます。「御名があがめられますように」とは、神様が中心となるようにということでしょう。「御国」とは神様の国ということですから、全てにおいて神様が中心となっている国。「みこころ」とは神様の心ですから、天で神様の心が完全に行われているように、この地上でもそのように、神様が中心となるようにという祈りだと思います。
そのように祈ってみましょう
明らかにイエスは神様を中心にするように教えたことが分かります。それを求めて祈るように教えました。それが私たちの幸せであり、救いだからだと思います。毎日、そのように祈ると良いと思います。
毎日の生活を神様に頼る
「日ごとの糧」とは、毎日の食事のことですから、神様を中心にするとは、そのように毎日の生活を神様に頼ることも意味していると思います。もちろん、働かなくて良いということではないと思います。当たり前のことですが。
神様の赦し
そして、「赦し」を求めています。負いめのない人はいないでしょう。それが私たちの心に影を落として、歳を重ねるごとに心に重くのしかかっているのではないでしょうか。しかし、「赦し」があります。神様の赦しです。ありがたいことだと思います。
子供達の顔の輝き
私は幼児にもそのように話します。いくら先生や親に良く聞き従う子供であっても、完全な子供はいません。分かっていてもルールを破ってしまうこともあります。そんな時は誤魔化さないで、正直に悪かったことを認めてくださいと話します。神様は赦してくれますと話すと、子供達の顔が輝きます。
人の負いめも赦す
だから私たちも人の負い目を赦すことですね。「もう赦しました」と祈るようにイエスは教えています。
誘惑と試練
「試み」とは悪の誘惑であり、試練でもあると思います。それらに自分の力で対抗するのではなく、神様の助けを求めましょう。それもまた神様を中心にすることだと思います。
毎日の祈りを習慣にする
毎日時間を決めて神様に思いを向け、このように祈ってはいかがでしょうか。もちろん、昨日読みましたように、この言葉を唱えれば不思議な力があるということではないと思います。大切なことは私たちの心が神様に向けられ、神様を中心にして生きるようになることだと思います。そこに全ての問題の解決があると私は思います。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。