【日本とイスラエル】S.M.ラザー「十部族の謎と解答」

祭

先週に引き続き、S.M.ラザーが書いた「十部族の謎と解答」(1908年刊)という本の内容について、マーヴィン・トケイヤー著「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。

古代絵画に描かれた天皇と側近の姿

ある古代絵画には、天皇が側近の者や兵士と共に舟に乗っているところが描かれている。人々は手にオールを持っている。興味深いことに、天皇や彼のサムライたちは武装しているのだが、その武器は、アッシリヤで発見されている古代絵画や、レリーフに描かれているものによく似ている。これは、彼らがアッシリヤ方面から来たことを示しているのではないか。(中略)

日本神道の神官

日本神道の神官は、祭司であるとともに地域のリーダー的役割も持つ。聖なる儀式では、神官(神主)は白いリネン(リンネル、麻)の衣を着ている。これが古代イスラエルの祭司の服によく似ている。神官は、餅や酒を神の前に供える。餅はユダヤの「種なしパン」(マツァ)に似ている。初穂を神に捧げ、収穫の感謝の祭もする。

ダビデ王と祭

かつてイスラエルのダビデ王は、契約の箱と共に町を練り歩き、白い祭司服を着てその前で踊った(Ⅰ歴代誌15・3~29)。同様に日本でも、人々は御神輿をかついで町を練り歩き、その前で踊る。とくに由緒ある神社の祭では、御神輿をかつぐ人々の服装は、古代イスラエルのときと同様、白い祭司服である。(中略)

日本人はイスラエルの失われた十部族なのか

これらのことから、日本人はもともとはイスラエルの失われた十部族であったと、多くの人が考えるようになった。ただ日本人は、日本に来るまでにトーラー(ユダヤ教の律法、教典)を失い、そのほかイスラエル人としての伝統の多くも失ってしまったのだと。(中略)

調査の必要性

これらのことが、ラザーが本の中で述べていることである。こうした日本人=イスラエルの失われた部族説に対し、ラザー自身は否定的であったが、私たちはさらに調査を進め、いったい何が本当なのかをよく見極める必要がある。(本からの抜粋引用は以上です。)

イスラエル系渡来人の歴史

日本人のすべてがイスラエルの失われた十部族の末裔であると考えることはできないと私は思いますが、紀元前に北イスラエルの十部族、続いて南ユダの二部族がシルクロードを通って日本までやって来た可能性は高いと思います。その後もイスラエル系渡来人は日本にやって来ていると考えられると思いますし、紀元後3世紀頃になると、イエスの弟子たちの末裔が日本にやって来るようになり、彼らは他のイスラエル系渡来人と自分たちを区別し、秦氏と名乗り、日本の文化に大きな影響を与えたと考えることができるのではないかと私は考えています。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の文化、伝統、信仰に深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、私たち日本人の信仰の原点を知るためにも聖書を読んでいただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 15章10~20節

イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」

そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。」しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」

そこで、ペテロは、イエスに答えて言った。「私たちに、そのたとえを説明してください。」イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。口に入る物はみな、腹に入り、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」

彼らのことは放っておきなさい

宗教の戒律を守ることには熱心であっても、良心に語り掛けられる神様の声を聞こうとしない人々に対して、イエスは「放っておきなさい」と言いました。それ以上の説明も説得も必要ないということではないでしょうか。

宗教ではなく、神様を中心にすること

どんな言葉を語り、どんな行動をするのか。それは何を中心としているのかということによると思います。自己中心から出て来るものは、悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしり、そういった類のものではないでしょうか。神様を中心にすれば、どんな問題にも解決が与えられるようになると思います。それは手を洗い清めるといった宗教の戒律を守るとか守らないということではないと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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