【子供の教育】子供に「本当の自信」を持たせる

子供を抱きしめる

今日は「【子供の心の育て方】家庭の教育は『本当の自信』をつけさせること」というサイトから子供の教育について考えてみたいと思います。

子供の心に一番必要なものは「本当の自信」

家庭教育で最も重要なことは、立派な人になるために成績を上げることではなく、「本当の自信」を与えてあげることだ、とこのサイトでは言っています。そして、「本当の自信」とは、運動神経がいいとか、学力優秀ということではなく、自己肯定感を上げること、無条件で親から愛されていると信じ切れることだと説明しています。

子供の「存在価値」を認める

親から「存在価値」を認められると、本当の自信がつきます。「僕は、生きているだけで価値があるんだ」ということを心の底に持っている人は、「他人の評価」を恐れません。周りに流されずに、堂々と人生を歩んでいくことができます。

他人との比較で「子供の価値」を決めていないか

残念なことに今の世の中は目に見える結果を出した人だけが高い評価を受ける傾向がありますが、親までが自分の子供を学業成績や見た目で評価してしまうと、子供は無条件で親から愛されていることを信じられなくなってしまうと警告しています。

「本当の自信」を与えるために

子どもに本当の自信を与えるには…「良いときも悪いときも、あなたは素晴らしい存在なんだ」、「生きているだけで嬉しいよ」ということを常に教えてあげることです。

そのための簡単な方法は…ダメだったときに励ます

  • 成績が良かったら、褒める
  • 成績が悪かったら、励ます

「あなたは素晴らしい存在なのよ」と、子どもに愛情を伝えるユニークな方法があります。それは…毎日8秒間ギューと抱きしめる

でもこれ、ホントに効果があるんです!半年も続けていると、子どもが驚くほど変わります。健やかで自信のある、優しい子に変わっていきます。その驚きの効果は、我が家でも経験済み。最初は照れくさいですが、ぜひ一度試してみてください。おすすめです。(サイトからの引用は以上です。)

 

「本当の自信」は大切だと思います

「本当の自信」とは何か、私はさらに2つのことを加えたいと思いました。1つは、「神様の子供」としての自覚を持つこと。子供は親の所有物ではなく、子供自身のものでもなく、神様のものですから、大切に育てなければならないと思います。神様の子供として、存在そのものが尊いという「本当の自信」を親も子供自身も良く理解する必要があると思います。

神様の子供らしく育てる

もう1つは、「本当の自信」とは神様の子供としての自信ということですから、神様の子供らしく育てることが大切だと思います。それは自己中心を退け、神様の願いを中心にして正しく生きることだと思います。その時に「さすがは神様の子供」という喜びを子供自身も持つことができると思います。悪を行いながら、「本当の自信」を持つことはできないだろうと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の生き方に深く関係していると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様の子供らしく生きるために聖書を読んでいただきたいと思います。

新約聖書 マタイの福音書 17章14~21節

彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、御前にひざまずいて言った。「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」

イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。

そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。」

信仰の力

弟子たちには悪霊を追い出すことができませんでした。イエスは信仰が薄いと嘆かれたようです。からし種ほどの信仰でもあれば、山も動くとイエスは言われました。それは不可能はないという意味で言ったのか、それとも文字通り山も動くと言われたのか、私には分かりません。

それは神様を中心にする力

いずれにしても、現代を生きる私たちにとっても、信仰の力が失われているのではないかということを思わされました。本来、信仰とは不可能を可能にする力のあるもの。信仰を過少評価してはいけないと思いますし、信仰の力を取り戻さなければいけないと思いました。それは自己中心を退けて、神様を中心にして生きる力のことだと思います。その本当の力を私たちはまだまだ知らないのかもしれません。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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