「『職場の人間関係・改善術』苦しみ続けた私に効果のあった24の方法」というサイトから「ポジション・チェンジ『3つの視点で人にフォーカスする』」という記事を抜粋してご紹介します。
マハトマ・ガンディーのポジション・チェンジ
かつてインドの無血革命を成功させた故マハトマ・ガンディー氏は、自分、自国、インド国民、イギリス、インドでもイギリスでもない第3国、第3者など、様々な視点にたって、自国の問題に目を向けたといいます。つまりポジション・チェンジのポイントは、自分、相手、自分と相手以外の第3者の立場に立ち、ものごとに目を向け、向き合うことです。
ポジション・チェンジの重要なポイントをまとめると以下になります
- あなたから見た相手への理解と共感
- 相手から見たあなたへの理解と共感
- 第3者でしかわからない客観的な状態と気づき
そして場合によっては、上司、部下、同僚など、ねじれた職場の人間関係を改善するには、先週ご紹介した「人の行動へフォーカスする」も活用して、相手にこちらの立場に立ってもらう必要があります。
- どうしたら、こちら(あなた)の立場に立つという行動をとってもらえるか?
- どうしたら、客観的な第3者の視点に立つという行動をとってもらえるか?
「もしも〇〇だったら?」 アズ・イフフレームを使う
この方法は質問を使ったポジション・チェンジでもあり、頭のなかで相手や第3者の立場に立つことが可能になります。良好な人間関係を築くのが上手な人、人間関係の問題解決が上手な人は共通して使っている方法です。
【相手にこちらの立場/別の立場に立ってもらうための質問例】
- もしも、あなたが私の立場なら、どのように考える?
- もしも、あなたが経営者の立場なら、どのように考える?
- もしも、あなたがお客様の立場なら、あなたがとった対応に対してどういう気持ちになる?など
【相手自身に客観的な視点を持ってもらうための質問例】
- もしも、今のあなた(誰かに対する表情、態度、言動など)を見ず知らずの第3者がみたら、どう見えるか?など
【誤解を解くための質問例】
- もしも、あなたが私の立場ならどう思いますか?(※誤解しているであろう理由を相手に伝えた上で行います。)など
人間関係を改善するには、自分が視点を変えること、相手の視点が変わること。この2つが必要です。その意味でアズ・イフフレームを使ったポジション・チェンジは、必要不可欠なスキルになります。(サイトからの引用は以上です。)
もし私があの人の立場だったら
「もし私があの人の立場だったら」とアズ・イフフレームを自分に適用するのはもちろんだと思います。視点を変えることによって相手への理解が深まり、相手を受け入れることが可能になると思います。それは自己中心を退けて、神様を中心にすることであり、良い人間関係を築く上で有効だと思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の信仰と生活のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にした幸いな人生を生きるために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 21章33~46節
もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、息子を遣わした。すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。この場合、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
『家を建てる者たちの見捨てた石。
それが礎の石になった。
これは主のなさったことだ。
私たちの目には、
不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。それでイエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。
もう一つのたとえ話
宗教には熱心ですが、神様には従おうとしないユダヤ教の祭司長、民の長老たちに向かって、イエスはもう一つたとえ話をしました。それは畑に行くと言ったが行かなかった兄のたとえ話よりもっとひどい話だと思います。悪意を持って神様に反逆するしもべの姿をイエスは語っています。
宗教と神の国
宗教に熱心であることと、神様の願いや思いを中心にして生きることは、それほどに大きな違いがあるということではないでしょうか。宗教は一つの主義主張になりやすく、人間中心の自己正当化に陥る危険性を持っていると思います。大切なことは宗教に熱心になることではなく、神様の願いや思いを良心で判断し、それを中心にすることだと思います。それがイエスの教えた神の国であり、日本人が太古の昔から大切にしてきた生き方だと思います。
神様を中心にする
今一度、自己中心を退けて、神様の願いや思いを中心にして生きる生き方を意識的に取り戻すことが大切だと思います。そこに全ての問題の解決も、本当の人生の幸いも、救いもあると思います。
いかがでしたか
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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。