大変長らくお待たせいたしました
今日から水曜日と土曜日は「イスラエル12部族に関する聖書預言と日本」というテーマで書きたいと思います。これまで月曜日、木曜日は文化的な側面から日本とイスラエルの類似性について、また古代日本にイスラエル系渡来人があった可能性について、日本人の信仰、国民性にはイスラエル人、聖書の信仰の影響があるということについて書いていますが、水曜日と土曜日は聖書預言という視点から日本とイスラエルの関係について考えてみたいと思います。
聖書には何と書いてあるのか
それは私の個人的な考えとか、ある人たちの意見ではなく、まず聖書には何と書いてあるのかということをお伝えしたいと思います。聖書は世界最古の文献であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など多くの宗教の教典であり、大変多くの人々がその内容に注目していることを考えれば、聖書に何が書いてあるのかをお伝えすることは大変重要なことではないかと思っています。
聖書と日本に入る前に
特にイスラエル12部族について聖書にはどんなことが書かれているのか。もし、日本がイスラエルと何らかの関係があるとすれば、それは日本人にとって大変重大な意味を持って来るということになると思います。今日は人類の始まりから、聖書に何と書いてあるのかお伝えいたします。
人類の始まり
ご存知のように、聖書によれば、人類はアダムとエバによって始まったと記されています。「生めよ、増えよ、地を満たせ」という神様の命令によって、人類はその数が増えて行きましたが、地上には悪がはびこったため、神様はノアとその妻、3人の息子とその妻の計8人以外の人類を洪水で滅ぼしたと書いてあります。ご存知の方も多いと思いますが、これがノアの洪水という出来事です。聖書によれば人類はこの8人に遡ることができるということになります。
ノアと3人の息子たち
ノアにはセム、ハム、ヤペテという3人の息子がいました。ある時、ノアがぶどう酒に酔って裸で寝ているのを見て、ハムはその醜態を他の2人の兄弟に告げましたが、セムとヤペテは父の裸を覆いました。それにより、ノアはハムとその子孫を呪い、セムとヤペテを祝福したことが聖書には記されています。この祝福を受けたセムの子孫からやがてアブラハム、そしてイスラエル民族が出て来ることになります。
旧約聖書 創世記 9章24~26節
やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、「カナン(ハムの子)はのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。
旧約聖書 創世記 11章10~26節
セムの系図は次のとおりである。セムは百歳になって洪水の二年の後にアルパクサデを生んだ。セムはアルパクサデを生んで後、五百年生きて、男子と女子を生んだ。アルパクサデは三十五歳になってシラを生んだ。アルパクサデはシラを生んで後、四百三年生きて、男子と女子を生んだ。シラは三十歳になってエベルを生んだ。シラはエベルを生んで後、四百三年生きて、男子と女子を生んだ。エベルは三十四歳になってペレグを生んだ。エベルはペレグを生んで後、四百三十年生きて、男子と女子を生んだ。ペレグは三十歳になってリウを生んだ。ペレグはリウを生んで後、二百九年生きて、男子と女子を生んだ。リウは三十二歳になってセルグを生んだ。リウはセレグを生んで後、二百七年生きて、男子と女子を生んだ。セレグは三十歳になってナホルを生んだ。セレグはナホルを生んで後、二百年生きて、男子と女子を生んだ。ナホルは二十九歳になってテラを生んだ。ナホルはテラを生んで後、百十九年生きて、男子と女子を生んだ。テラは七十歳になってアブラム、ナホルおよびハランを生んだ。
聖書を読みましょう
この「アブラム」が後に「アブラハム」と呼ばれるようになります。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マルコによる福音書 14章53~65節
それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。
さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。
ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、「わたしたちはこの人が『わたしは手で造ったこの神殿を打ちこわし、三日の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ』と言うのを聞きました」。しかし、このような証言も互に合わなかった。
そこで大祭司が立ちあがって、まん中に進み、イエスに聞きただして言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。
大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「どうして、これ以上、証人の必要があろう。あなたがたはこのけがし言(ごと)を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶしでたたいて、「言いあててみよ」と言いはじめた。また下役どもはイエスを引きとって、手のひらでたたいた。
わたしがそれである
イエスは捕らえられ、大祭司のところに連れて来られ、夜にもかかわらずユダヤの全議会が招集されました。多くの人が偽証しましたが、イエスを有罪とするには至りませんでした。結局、イエスを死刑とした理由は、あなたはキリスト、つまり神様から特別な権威の与えられたメシヤなのかと問われて、そうだと答えたということです。
やがて見るだろう
人の子、つまりメシヤは神様と共におられ、栄光の姿で現れる。それがユダヤ人が考えていたメシヤ、キリストだったのかもしれません。しかし、目の前にいるイエスはそのような姿には見えなかったのかもしれません。やがてそのような姿のメシヤを見ることになる。わたしがそれだとイエスは言ったことがここには記されています。世の終わりに、そのような姿でイエスは来るということを言ったのかもしれません。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」