日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上滞在したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。
物部氏と蘇我氏
かつて古代の日本には、神道派と仏教派との間に壮絶な権力争いがあった。いわゆる物部氏(神道派)と蘇我氏(仏教派)の争いである。一時、仏教派が権力をにぎったが、その後西暦645年の「大化の改新」のときに、神道派が復権した。
大化の改新
大化の改新は神道派の復権であったため、そこには興味深いイスラエルとの関係が見え隠れしている。たとえば、大化の改新において新政府が大化時代の始まりを宣言したのは、7月のはじめだった。日本書紀には、7月2日に新しい妃(きさき)を立てたと記されているが、7月1日が実質的には大化時代の始まりだったと思われる。
ユダヤ人の新年
じつは7月1日というのは、ユダヤ人にとっても新年、元日なのである。今日もユダヤ人は、毎年7月1日(ティシュレイの月の1日)を新年として祝っている。ただしその日は安息日だから、宗教的な事柄を除いてその日に仕事はできない。紀元前五世紀にユダヤの祭司エズラが民の間で律法を読み聞かせ、宗教改革を始めたのは7月1日であったが(旧約聖書ネヘミヤ記8章2節)、そのような宗教的行事は別として、政治的な公務の開始は7月2日からである。
7月14日
また大化の新政府は、その「7月14日」に、伝統的な捧げ物を神道の神々に捧げるために使いの者たちを派遣したと、日本書紀に記されている。7月14日というのは、ユダヤの風習においても、「仮庵の祭」という大きな祭のために神への捧げ物を用意する日である。この一致は驚くばかりである。
班田収授法
それだけではない。大化の改新において「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」が施行された。これは西暦900年頃まで続けられたもので、6年たつごとに国家が庶民に土地を分配し直すという、土地再分配法であった。これは中国の「均田法」をモデルにしたものと言われているが、中国の均田法における土地再分配は、農民が60歳になったときまたは死亡時であって、6年ごとではなかった。にもかかわらず、なぜ日本では6年ごとの土地再分配がなされたのか。
安息年
じつは古代イスラエルには、6年間は土地を使い、7年目はその土地を休ませるという安息年の律法があった(旧約聖書レビ記25章3~4節)。これは連作を避け、土地のやせ衰えるのを防ぐためのものであったが、日本の班田収授法はこれを参考に作られたのではないかとさえ思えてくるのである。ある人は、当時の日本人は7年目を土地の再分配に使っていたのではないかと、想像している。
相続地の大きさ
またこの土地再分配において、土地の大きさは、家族の人数に応じて決められた。これも古代イスラエルと同様だった。古代イスラエルにおいては、相続地の大きさは人数に応じて決められたのである。(旧約聖書民数記26章54節)。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の生活に深い関係があると考えられます。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 ルカによる福音書 1章18~25節
するとザカリヤは御使(みつかい)に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたはおしになり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、おしのままでいた。それから務の期日が終ったので、家に帰った。
そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていたが、「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。
御使を見たザカリヤ
祭司の当番になり、聖所に入ったザカリヤは、そこで御使を見たと記されています。御使はザカリヤとエリサベツに子供が与えられ、その子供はイスラエルの人々を神様に立ち帰らせる働きをすると告げます。これは事実の記録であるのかどうか、私には確かめる術はありませんが、御使がいること、それは人の目で見えたこと、その名前はガブリエルであると聖書には記されていることは事実です。
その言葉を信じなかったザカリヤ
ザカリヤは御使の言葉を信じなかったと記されています。人間を中心にするなら、年老いた二人に子供が与えられることはあり得ないことかもしれません。しかし、御使は神様を中心にすることを教えているのではないでしょうか。そして、時が来れば、それが真実であることを人々は知るようになるということではないでしょうか。
信じられないことを、信じること
問題は「信じられない」ことではないと思います。たとえ人間的に考えれば、「信じられない」ことであっても、神様を中心にして、「信じる」ことではないでしょうか。ここでも御使はザカリヤが「信じられない」ことを咎めてはいません。「信じない」ことを咎めているように思います。
いかがでしたか
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