いつも神様が中心になってきていますか
「日本人の信仰と聖書について考える会」では、神様を中心とした生活をお勧めしています。そこに私たちが抱える全ての問題の解決があると思っています。でも、私たちは放っておけば、すぐに自分中心、人間中心の考え方になって、またいつの間にか悩んでいるので、常に神様が中心であることを意識することができるように、そのための有効な方法として、毎日時間を決めて神様に心を向けて祈り、聖書を読むことを提案しています。いかがでしょうか。もう、神様を中心にして生活することが当たり前になってきましたでしょうか。継続が大切だと思います。習慣として身についてくればしめたものですね。やがてそれは人格の一部となっていくと思います。
神様とは
その場合の神様とは、どの神様のことを言っているのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私たちが言っている神様とは、そのような何か特定の宗教の神様のことを指していません。私たち日本人が一般的に神様と言えば、それは何か特定の宗教の神様のことを指していないと思います。神様についてのイメージは人によって多少の違いはあるだろうと思いますが、それでも神様と言えば、人間を超越したお方であり、目には見えませんが確かに生きて働いておられるお方であるということだと思います。
聖書は参考になります
私たち日本人が神様について知るために、聖書はとても参考になると思います。というよりも、聖書以外に私たちが神様について正しく知ることができる資料はたぶんないと私は思います。だから「日本人の信仰と聖書について考える会」では、毎日少しずつでも聖書を読むことを提案していますので、中にはやっぱりキリスト教を勧めているのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。それくらい聖書と言えばキリスト教のイメージに結びついているのは事実だと思います。だから何度でも書きたいと思いますが、「日本人の信仰と聖書について考える会」はキリスト教を勧めていません。神様について知るために、聖書を読むことをお勧めしています。どうかキリスト教と聖書を分けて考えていただきたいと思います。
世界最古の記録文書
聖書と呼ばれている複数の古文書は、神様が人類にどのように関与されたのかが記された最古の文書です。この記録を読むことによって、神様がどのようなお方であるのか、私たちはある程度知ることができると思います。それは特定の宗教の神様のことではありません。目には見えませんが、人間を超越した、確かに生きて働いておられるお方のことであり、全ての根源であられるお方のことです。日本人が太古の昔から神様と崇めて来たお方はこの神様です。このような世界最古の記録文書の信ぴょう性に並ぶ、またそれに勝る記録は他にはないと思います。
宗教にならないように
確かにこの聖書と呼ばれている一連の古文書の記録に基づいた宗教は世界にいくつもあると思います。キリスト教もその一つだと思います。イスラム教もそうだと思います。その他にも新興宗教も含めれば、数え切れないほどの宗教がこの聖書と呼ばれている文書を元に様々な教えを説いていると思います。「日本人の信仰と聖書について考える会」も聖書に基づいて新しい宗教を始めようとしているのでしょうか。そうではありません。特定の教えを説き、その教えを信奉する人々でグループを形成し、その教えを広めて行こうとするものが一般的な宗教のイメージだとすれば、間違いなくキリスト教もイスラム教も仏教も宗教だと思いますが、「日本人の信仰と聖書について考える会」はそのような宗教にならないように注意したいと考えています。
私たちは特定の教えを説かないようにしたい
「日本人の信仰と聖書について考える会」は特定の教えを説かないように気をつけたいと思います。神様を中心とした生活を勧め、そのための一つの手段として毎日祈って聖書を読むことを提案しますが、どのような信念を持って生きるのかはそれぞれだと考えています。もちろん、お互いの成長や励ましのために、孤立するのではなく交流することは望ましいことだと思いますが、特定の教えを信奉する者のグループを形成するつもりはありません。
一つの教えを絶対化することの危険性
私は一つの教えを絶対化することはむしろ危ないと思っています。特定の教えを説き、その教えを信奉する人々がグループを形成し、その教えを広めて行こうとする宗教はそのような危険性を持っていることは歴史が示していると思います。世界の紛争の原因は究極的には自己中心だと思いますが、自己中心を正当化するために宗教が用いられているという側面があると私は思っています。「日本人の信仰と聖書について考える会」は一つの教えを絶対化すような宗教にならないように、また、そのような宗教には注意するようにと呼び掛けたいと思っています。
これは日本人の信仰
このような考え方は私たち日本人には決して新しい考え方ではなく、本来これが日本人の信仰ではないかと私は思っています。太古の昔から日本人はこのような信仰を大切にしてきたのではないでしょうか。特定の宗教ではなく、神様を崇めること。神様を中心とした生活をすること。私たちは神様の大きな守りの中で生活していること。私たちは皆神様の子供であること。それが日本人の信仰ではないでしょうか。このように神様を中心とすることで、様々な問題を乗り越えながら、日本人は今日までやって来たのではないでしょうか。何か特定の教えを信奉する者でグループを形成し、そのグループを拡大して行くという考えは本来日本人にはなかったのではないでしょうか。
人間として当たり前の生き方を取り戻す
聖書は本来何か特定の宗教を支持していないと私は思います。人間として神様を崇めて、神様を中心とした生活をすること。私たちは神様の大きな守りの中で生活していること。私たちは皆神様の子供であること。神様を中心にすることで、問題を乗り越えながら生きていくこと。それは人間として当たり前の生き方ではないかということを聖書を読むことで気づかされ、日本人が大切にしてきた信仰を取り戻すことの重要性を思わされています。どうぞ毎日時間を決めて、神様に心を向けて祈り、聖書を少しずつ読んでみてください。そして、いつも神様の視点を意識して物事見てみてください。きっと人生が違う輝きをもって見えるようになると思います。それが本来の日本人の生き方だと私は思っています。