心に平安があるというコメントもいただいています!
皆さん。こんにちは!おはようございます!または今晩は!という方もいらっしゃるかもしれませんね。皆様の神様を中心とした生活は順調ですか。もうその喜びを実感されていらっしゃいますでしょうか。最近は心に平安を感じるという方もいらっしゃるようです。まだ良く分からないという方も心配なさらないで、お祈りと聖書を読む習慣をお続けください。必ず分かる時が来ると思います。もちろん分かると言っても、それは頭で理解することも大切ですが、やはりそれだけでなく、体験的に分かることだと思います。私もそのためのサポートを精一杯させていただきたいと思っています。
これは私のライフワークです
「日本人の信仰と聖書について考える会」は「会」という名前はついておりますが、何か組織がある訳ではありません。私が個人的に神様を中心としたライフスタイルの素晴らしさをお伝えし、それをサポートすることをライフワークとして行っているのものです。料金を取るつもりもありませんし、メンバーを集めるつもりもありません。私はクリスチャンになることで、その喜びを体験しましたが、クリスチャンにならなくても、その喜びは体験できます。むしろ日本人としては、クリスチャンになることではなく日本人本来の生活を取り戻すことに他ならないということも分かってきましたので、そのことを全ての日本人に実感して欲しいと願って、この働きを始ました。
以前は好き嫌いが中心でした
今日は私の体験を1つご紹介させていただいて、皆様の参考にしていただければと思います。私が以前、まだ自分の思いを中心にして生活していた時には、私の考えや私の行動は殆ど私の好き嫌いに左右されていたと思います。まあ、社会人としてある程度の常識は必要だということくらいは考えて、好きではないけど最低限やっていることもあったと思いますが、基本的には自分がしたいことをしたいというのが私の考え方だったと思います。その頃、私は高校の教師をしていましたが、結構でたらめな生活をしていたと思います。それでいて、私は自分の人生に満足していたかというと、まあ楽しいこともあったと思いますが、どちらかと言えば不満だったと思います。自分の思い通りにならないことがあれば、イライラしていたと思います。
好き嫌いから善悪へ
そんな私が神様中心の生活を始めるようになったは30歳の時です。その瞬間に全てが分かったという訳ではありませんが、自分の存在に肯定感を持つことができ、嬉しくなったということは以前にも書いた通りです。その後も神様を中心とした生活を意識する中で、最も大きな変化は好き嫌いではなく、善悪に基づいて自分の行動を意識するようになったということだと思います。もちろん私には今も好き嫌いはあります。でも、かなり多くの部分において、それは良いことなのか、神様に喜ばれることなのかという視点で自分の行動を判断するようになりました。
正しく生きることが人生の満足に影響している
もちろん、以前にもまったくそのような判断基準がなかった訳ではないと思いますが、それは最低限というか、仕方なくという思いだったと思います。今は喜んで、最大限そのようにしたいと思うようになりました。その結果、私は随分自分の生き方に満足するようになりました。やっぱり、自分の良心でも、神様の目から見ても正しいと思う生き方をすることが人生の喜びと満足に大きく影響していると感じます。
結果より生き様に喜びがある
仮にそのために不当な扱いを受けることがあったとしても、自分としては正しく行動したのであれば、そこに満足感を持つことができます。これでいいと思えます。それは単なる自己満足に留まらず、神様がそれで良いと認めてくださっているという確信と平安は何にも代えがたいと感じます。これは日本人の生き方ではないでしょうか。たとえ命が奪われるということがあったとしても、神様の前に私は正しく生きたという尊厳を日本人は何よりも大事にしてきたのではないでしょうか。みっともないとか、恥を知れというのは、神様の前に恥ずかしいとは思わないのかということだと思います。日本人はこのように神様の前にどうなのかということをとても大切にして来たと思います。
これが大和魂でしょうか
それは何て素晴らしい生き方でしょう。そういう歴史上の人物の伝記を読んだりすると、日本人であることに誇りと喜びを感じます。目先の損得を超えた、尊厳ある生き方がそこにはあると思います。ああ、私は日本人に生まれて本当に良かったと思います。もちろん、それは民族の血のことではなく、神様を中心にして生きるという日本人の生きざまです。大和魂と言ってもいいかもしれません。
日本人であるだけでもある程度は神様中心の生き様はあると思いますが
それは以前の好き嫌いの基準で生きていた私とはまったく違う次元だと思います。あのままの生活を続けていたら、今ごろ私の人生はどうなっていたのでしょうか。もちろん、ずっとそのままということもなかったでしょう。やっぱり日本人ですから、ある程度は日本人らいしく年齢と共に成長もしたことでしょうけれども、明確に神様を中心とした生活にしたことによって、著しい変化を自分のものにすることができたと思っています。
日本人らしく、神様の子供らしく
どうぞ神様を中心にして生きるライフスタイルをご自分のものにしていただきたいと思います。せっかく日本人として生まれたのですから、日本人らしい、神様の子供らしい生き様をご自身のものにしていただきたいと願っています。私もそのためのサポートを精一杯続けていきたいと思います。どうぞ聞くだけ、読むだけではなく、大和魂の実践者として共に歩んでまいりましょう。