【日本人と日本文化】差別のない国

世界をつなぐ虹

「十数年暮らしてみて、日本は本当に差別のない国だと感じます。」と語るのは、イラン人のビージャン・カーベさん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

分け隔てのない日本人

あらゆる種類の店の店員は親切でサービスが良く、それは日本人、外国人いずれに対しても分け隔てないようです。これは、意識の底に必ず人種差別の心を持っている欧米人とは異なるものです。

ハリウッド映画の悪役

そう言っても、日本に住んでいる日本人の方たちには、あまりピンとこないかもしれませんが、例えば、ハリウッド映画を見る機会があれば、ちょっと注意して見てみてください。悪者やテロリストは、必ずと言ってよいほど、黒い髪と黒い目の人種です。金髪で青い目の欧米人が、悪役を演じることはあまりありません。

ドイツでの出来事

また、妻と幼い子供たちを連れてドイツを旅行した時に、こんなことがありました。私たちは電車を待っていたのですが、子供たちが風邪をひいている上に寒かったので、駅の待合室に入りました。そして、空いている席に座ったとたん、「病気を持っているから、行きましょ」と、隣に座っていた子連れの白人女性が、席を立って行ってしまったのです。

電車内の乗客

また、電車に乗ってからも、妻は一歳の娘を抱っこし、私は四歳の息子の手を引いて、席を探して端から端まで歩いたのですが、座っている乗客たちは私たちを、頭のてっぺんからつま先まで無遠慮にジロジロ眺めたかと思えば、ぷいと横を向いて知らん顔するのでした。

そういうことを日本では経験したことがない

そういったことが、日本では全くありません。私たちは電車に乗る時はもちろん、スーパーで買い物をする時も、レストランで食事をする時も非常に気持ち良く過ごすことができます。

日本人のように働きたい

私は現在、千葉県で自動車関係の会社を経営しています。月曜日から土曜日、朝から晩まで休みなく働いています。「過労死」という言葉に代表されるように、日本人にとって働きすぎることは悪というイメージが定着しています。しかし、私は日本人のように働きたいし、日本人から働くことを学びたいと思っています。

尊敬せずにはいられない

人間として生まれたからには、やはり怠けているより、働いた方が良いのです。これは、いわゆる職業としての仕事だけでなく、日常的なことでも同じです。この間の大雪の時、八十歳の女性が一生懸命雪かきをしているのを見て、非常に感銘を受けました。皆がこういう働く気持ちを持っているのはすばらしいことです。これが、資源を持たない国を豊かな大国にしたゆえんだと、尊敬せずにはいられません。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それは神様を中心にして生きるという日本人の生き方がもたらしたものだろうと私は思っています。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の生き方の根源でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるという日本人の原点を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 5章17~26節

ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。

その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。

イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。

イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる、起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。

すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。

イエスの所にやって来た宗教指導者たち

イエスの評判はパリサイ人、律法学者といったユダヤ教の宗教指導者の耳にまで届いたのでしょう。彼らもイエスのところに来て、その教えを聞いていました。しかし、彼らはイエスに対して懐疑的だったのではないでしょうか。イエスが「あなたの罪はゆるされた」と言うのを聞いて、神を汚していると考えたようです。

罪のゆるし

「罪」とは的外れ、つまり神様ではなく、自分を中心にした生き方のことを指していると思います。その結果は困難と滅びだと思います。イエスは病人を連れて来た人たちの信仰を見たと書いてあります。どこでそう判断したのかは分かりませんが、彼らは神様を中心にして生きようとしていることが分かったということだと思います。それが罪のゆるしだとイエスは言ったのだと思います。

神様を中心にして生きる

確かに罪をゆるすことができるのは神様だけだと思います。ユダヤ教の宗教指導者たちは犠牲の動物をささげるという宗教的な儀式によって神様が罪をゆるすと考えていたのだと思います。しかし、イエスは自己中心を退けて、神様を中心にして生きる「神の国」にこそゆるしと救いがあると教えたのだと思います。

イエスはメシヤである

イエスはそのことを教えるために神様から特別な権威が与えられたメシヤであることを示すために病人を立ちどころに癒しました。確かに神様の超自然的な力がイエスを通して働いていたということをルカは示しているのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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