【日本人と日本文化】ウズベキスタンの表現 “Yapon lar niki zor”

ウズベキスタン

「演歌は日本の芸術」と語るのは、日本滞在三年のウズベキスタン人、ジヨダ・ムザファロバさん。加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介いたします。

夫と一緒に暮らすために来日しました

2006年(平成18)年の3月、滋賀県にある大学に留学していた夫と一緒に暮らすために、私は生後6ヶ月の娘と二人で、日本にやってきました。ウズベキスタン共和国の首都、タシケント出身です。

Yapon lar niki zor

私の国の言葉で〝Yapon lar niki zor—日本のもののようにすばらしい〟という表現があります。他と比べて、高品質で優れているモノや人に対して、また何かに一生懸命に努力した結果、成功を収めた時などに使われる褒め言葉です。それが、私たちの国から見た日本の印象なのです。

平和でなおかつ発展している国

実際に来て、自分の目で見た日本は、来る前に想像していたとおりの国でした。経済的に発展した国、豊かな国。世界で経済的に成功している国は、他にも幾つもあります。しかし、日本のように社会も平和で、なおかつ発展している国は珍しいと私は思っています。

外からの目でみて欲しい

社会が平和だ、安全だと言うと、昔と比べたら、安全ではなくなった、不安な状態になったと日本の人たちは言いますが、外からの目で、改めて見直してみて欲しいと思います。日本は、まだここまでしか乱れていない、と言える状況ではないでしょうか。

まだまだ日本らしさが残っています

同様に、私はよく、〝日本は日本らしさを失ってしまった〟と言われているのも聞きますが、私の目から見たら、そんなことはありません。日本にはまだまだ、文化や生活様式、人々の性質などに日本らしさがたくさん残っています。今のこの時期を大切にして、まだ十分に残っている日本の特別なところ、素晴らしい面を守っていって欲しいというのが私の願い、日本の方たちへのアドバイスです。

私は心から驚きました

日本に来て、人々のまじめさ、礼儀正しさ、ハイレベルな規律正しさに、私は心から驚きました。日本人くらい一度決めたルールを必ず守ろうとする人たち、そして何をするにも正確で丁寧な人たちはないでしょう。

日本発展の要因

社会のルールはもちろん、時間やエチケットをみんながきちんと守って暮らしている。子供でも道にゴミを捨てたり、列に並んでいる時に割り込みをしたりしません。人が見ていてもいなくても、いつも規律を守り自分のやるべきことをきちんとやる。そういう日本人の優れた性質が自然の資源が少ない日本という国を現在の成功に導いたのだと思います。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の国民性のルーツです。日本人の高い意識は古代イスラエル系渡来人によってもたらされた聖書の信仰によるものです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。聖書は日本人の心なのです。

新約聖書 ルカによる福音書 22章14~23節

時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。

そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。

またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。

食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。

神の国で過越が成就する

イエスは使徒たちと過越の食事をされた。これが地上における最後の過越の食事だとイエスは言っておられるようだ。神の国で過越が成就するとはどういうことなのでしょうか。エジプトの奴隷状態からの解放、救いを記念する祭り。その本当の意味は人類が罪から解放されることであり、イエスの犠牲によって成就するということを言っているのかもしれません。

私のからだと血

太古の昔からユダヤ人が守って来た過越の食事。そのパンとぶどう酒はイエスのからだと血を象徴するものだと言っているようです。今後、過越の食事をする度に、イエスの犠牲の死を思い起こすようにと言われたのかもしれません。

人の子を裏切る者はわざわいだ

イエスはイスカリオテのユダがイエスを裏切ろうとしていることを知っていて、思い留まるようにと促したのではないでしょうか。ユダはどんな思いでイエスの言葉を聞いたのでしょうか。神の前に何が正しいことであるのか。ユダも分かったいたのではないでしょうか。何に従って生きるのか、私たちはそのことが問われているのだと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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