【日本とイスラエル】イザナギとイザナミの子孫

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

アマテラスオオミカミとスサノオ

日本の伝承によれば、まだ原始の雲霧と天の神聖さとに包まれていた古代において、突然アマテラスオオミカミとその弟スサノオとの間に激しい争いが勃発する。

アマテラス

「アマテラス」というこの女神の、日本語名の意味についてであるが、日本人であるエフライム部族はかつて「シン」の文字を上手に発音できず「スィン」と発音していた。それゆえ本来彼女の名前は「アマテラシュ」、「アマット・ローシュ」だと考えられる。日本語の語順は逆さにも読めるので、これを「ローシュ・ウマット」と読むとヘブライ語で「民族の頭」の意味になる。つまり、日本の天皇家を指しているのではないだろうか。

「カミ」という称号

また「カミ」という称号には、日本語では「上」「最高」という意味があるが、これはかつて日本の古代の神々に付けられる呼び名であった。アラム語では日本語に似て、「カミ」という言葉には「古代の」「最初の」「古い」「古風な」という意味がある。

イズモ

神々は、乱暴で横柄なスサノオに判決を下し、神々の国である高天原を追放して、出雲に行くように命じた。「イズモ」とはヘブライ語で「イー・ゼ・マー」と聞こえる。つまり「その島はどこだ?」のような意味になる。彼はこの地方を支配し、その孫であるオオクニヌシに国を治めさせた。「オオクニヌシ」はヘブライ語で「アヒーヌー・ナスィー」、つまり「我らの兄弟は首長」という意味に解釈できる。

国譲り

おそらくアマテラスが、旅の指導者たちとそう約束を交わしたのであろう。彼女は、自分自身をこの新しい国の支配者であると見なしていたが、今やそれが他人の手に渡ったと感じた。そこで彼女は弟スサノオの孫に使いを送り、彼に国を譲るよう申し入れた。長い交渉の結果、オオクニヌシは祖父から受け継いだ支配権を手放すことに同意した。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 23章50~56節

ここに、ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。

この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。

イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ。

アリマタヤのヨセフ

彼はユダヤ議会の議員でしたが、イエスを有罪とすることに賛成していませんでした。議員の中にそういう人もいたのです。彼は善良で正しい人であったと記されています。誰でもその良心で判断すれば、それがいかに不正な裁判であったか、分かったと思います。

準備の日

それは金曜日のことです。安息日は金曜日の夕方6時から、土曜日の夕方6時まで。間もなく安息日が始まろうという時刻でした。アリマタヤのヨセフは急いで、イエスのからだを引き取り、墓に納めました。その一部始終を見ている女たちもいました。これは間違いのない事実であるということを言っているのでしょう。

いかがでしたか

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目次

第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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