【日本とイスラエル】スサノオとイスラエル(1)

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

ヨセフの家系

「スサノオ」とその姉「アマテラス」は、ヤコブの息子でエジプトのパロに次ぐ副王であり、エジプト祭司の婿であるヨセフの家系に属している。ヨセフに属するエフライム族はイスラエルの諸部族の中でも最も尊ばれており、ユダ族と王権を争う存在であった。

エフライムの子孫

エフライムの子らはイスラエル民族の中でも特に勇猛であり、自由と独立を強く希求する性質であった。そのため彼らはエジプトからの脱出の時期を早めてしまったほどであった。ミドラッシュの伝承によれば、イスラエルの民がエジプトを脱出する30年前のこと、その時彼らは比較的平穏に暮らしていたにも関わらず、エフライムの子孫にあたるゴネンが次のように述べている。

「神が私に現れてこのように言われた。『エジプトからイスラエルの民を連れ出す時が来た』」。しかしイスラエルの民は彼に耳を貸さなかった。ただエフライムの人々は、彼らが王家であり、戦争における力ある勇者であるという誇りをもって立ち上がり、妻たち、息子娘たちを連れて、エジプトを出てカナンの地に向かった。これらの人々は、男子はそれぞれももに剣を帯びて武装し、自らの勇気に確信を持ち、強い手を持って共にエジプトを出た。
父祖の遺言を破る

このエフライム族の断固とした出立で、彼らは父祖であるヨセフの言いつけに逆らった。ヨセフは彼らの激情的な心、反抗的な精神を知っていたため、彼らにエジプト脱出の時期を早めないように誓いを立てさせていたのである。しかし、彼らは父祖の遺言を守らずに急いでエジプトを脱出し、彼らに向かって攻撃をしかけてきたガテ人と戦争になった。

戦いに敗れる

エフライム人はカナンに向けた道を拓こうと、三日間戦闘を続けたが、ガテ人は全てのペリシテ人の町々に援軍を求めた。エフライム人は急いでエジプトを出たため、食糧を持って来ておらず、その三日間何も食事をとっていなかった。三日目になって、エフライム人は戦いに敗れ、エジプトの兄弟のもとに逃げることができたのは僅かな人々であった。

その戦いの厳しさ

神様が、その後出エジプトしたイスラエルの民を、ペリシテ人の道に導かなったのは、一面に放置されたエフライム人の骨を見て、イスラエル人が恐れ、エジプトに帰ってしまわないためであった、というミドラッシュの物語が、この戦いの厳しさを物語っている。(つづく)(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこには古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 16章13~20節

イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。

そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。

わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。

「人の子」

「人の子」とは、旧約の預言者たちが、やがて来ると預言していた「メシヤ」、「キリスト」のことを指して使われていたようです。「メシヤ」が来て、イスラエルをローマの支配から解放してくれると待ち望んでいたのです。バプテスマのヨハネがそれだとか、エリヤだとか、エレミヤだとか、預言者のひとりではないかと人々は言っていたということでしょうか。弟子たちの耳にも様々な噂が入っていたのでしょう。

あなたこそ

イエスは弟子たちに、わたしはだれだと思うかと尋ねました。ペテロが「キリスト」だと答えると、イエスは「あなたはさいわいだ」と言いました。イエスこそ旧約の預言者たちが預言し、ユダヤ人が待ち望んでいる「メシヤ」「キリスト」であると受け入れる者はさいわいだということでしょう。それは父なる神が与える悟りだとイエスは教えたと記されています。

ペテロ

「ペテロ」という名は、「岩」という意味があるそうです。さしずめ「ペテロ」とは、「岩男」というところでしょうか。イエスはこの岩の上に「教会」を建てると言ったと記されています。「教会」とは建物のことではないでしょう。また、キリスト教という宗教のことでもないでしょう。イエスを「メシヤ」として受け入れるとは、その教えに従うことであり、何かの宗教の信者になることではなく、いつも神に思いを留め、神の願い、神の計画に目を留めて生きることに他なりません。地獄の力もこれには打ち勝つことはできないとイエスは教えたのだと思います。

いかがでしたか

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10月17日(水)タピ大決定!

「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの5回目になりました。今回は「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~剣山・ソロモンの秘宝」と題して、この8月6日~16日の旅行のレポートをさせていただきます。お近くの方はぜひお出かけください。タピ大については、こちらのサイトをご覧ください。

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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