【日本とイスラエル】スサノオとイスラエル(3)

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

神社にある厩舎

興味深い事実がある。今日に至るまで神社のそばには、エルサレム神殿からそう遠くない場所に作られていたソロモン王の厩舎にも似た厩舎が置かれているのである。おそらくメナシェ族、中でもスシ家は馬の飼育と調教とを専門に行っていたのであろう。(ヘブライ語で馬は「スース」)。

メギドの厩舎跡

この件に関して、一見無関係に思えるが、もう一つの事実が私たちの目を引く。スサノオの部族であるメナシェ族が所有していた町にメギドがある。この町は巨大で強力な騎兵隊の町として有名で、その厩舎跡は今日に至るまでメギドの遺跡の中でその威容を誇っている。

イスラエルの軍事拠点

イスラエルの民がエジプトから入ってくるまで、メギドは要塞の町であった。おそらくここを占領したのはダビデ王であろう。ソロモン王時代に町はより繁栄し、イスラエル王国のアハブ王時代には戦車隊と騎馬隊を基礎に防衛され、軍事拠点としての頂点を極めた。

アッシリアによる占領

十部族が捕囚される約十年前の紀元前732年、アッシリアの王ティグラト・ピレセルがイスラエル王国の手からメギドを占領する。メギドの遺跡からイスラエルの古代の町から発見された数ある印章の中でも最も有名な印章が発見されている。その上には古代ヘブライ語文字で「イェロベアムの僕シェマへ」と書かれている。

メナシェ族の役割

学者たちの推定によれば、メギドが敵によって滅ぼされる前には、その厩舎には450頭の馬がいた。このメギドの町はメナシェ族の領地に建てられた町であり、「メナシェの高地」と呼ばれる部族の名前を冠した高台のそばの低地に位置しているのであるから、戦闘的な部族であるメナシェ族が馬の飼育や戦車隊、騎馬隊の訓練、配属、さらには指揮などに関係していなかったとは考えにくい。

馬は防衛の要

メギドに数多くの馬がいたことを物語る厩舎を見れば、イスラエル王国の諸王が馬を防衛の要と考えていたことは明らかである。そして馬の飼育、訓練に秀でていた氏族こそがメナシェ族の族長氏族スシ家であり、まさにその名も彼らの職業を物語っている。

最も重要な仕事

シナイ砂漠を流浪した時代に、すでにメナシェ族の首長である人物が「スシ」(馬)と呼ばれていたのであるから、メナシェ族は王権に近い地位にいたエジプトで、すでに馬の世話に従事していたと仮定すべきであろう。エジプトにおける馬の飼育は最も重要な仕事の一つであり、馬を所有する権利を持つ王家か貴族階級の者しか携わることができなかった。

スサノオこそスシ家の族長

メナシェ族はイスラエルの地においても、またアッシリアに追放された後も、この名誉ある職務に継続して就いていたのである。それ故、スシ家を族長とするこの部族の人々はアフガニスタンから日本に向かう北ルートの先頭部隊、また指導集団を形成したのであろう。(つづく)(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 17章1~8節

六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。

すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。

これは事実の記録なのか

本当にこのような事があったのでしょうか。それとも彼らは幻を見たのでしょうか。後にペテロはこの時のことを書いた文章が聖書には残されています。少なくともペテロは光り輝くイエスの姿とモーセとエリヤを見たのでしょう。なぜそれがモーセとエリヤだと分かったのでしょうか。大変不思議な出来事です。

社ではなく

「小屋」とは、社のことなのでしょうか。社を建てて、そこにイエス、モーセ、エリヤを祀ろうという思いは日本人である我々にはよく分かると思います。イスラエルにはそのような風習があったということでしょう。その時、彼らは神の声を聞いたと記されています。大切なことは社を建てて、彼らを祀ることではなく、イエスの教えに聞き従うことでしょう。イエスは人間的な思いを退けて、神の思い、願い、計画に聞き従うようにと教えたのです。それが大切なことではないでしょうか。

いかがでしたか

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10月17日(水)タピ大決定!

「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの5回目になりました。今回は「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~剣山・ソロモンの秘宝」と題して、この8月6日~16日の旅行のレポートをさせていただきます。お近くの方はぜひお出かけください。タピ大については、こちらのサイトをご覧ください。

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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