【日本とイスラエル】アマテラスとイスラエル(2)

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

アマテラスの神性

メナシェ族の娘であり、日本人が崇敬する女神であるアマテラスの神的特徴に関して言うならば、彼女は明らかに神々の時代に属している。つまり、彼らがまだ神の国イスラエルの地に結び付いていた時代、イスラエルを追放される前の時代である。

イスラエルの女預言者デボラ

このアマテラスと神の国イスラエルのエフライムの山地で活躍した一人の戦う女性、女預言者デボラの姿とが「偶然」にもあまりに似ていることに驚かされる。聖書には「ラピドトの妻、女預言者デボラが士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。彼女はエフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた」とある。

アマテラスとスサノオの指導権争い

日本の伝承はスサノオとその姉とを神的でもあり、人間的でもある存在として捉えている。また彼らの争いには、おそらく新しい土地での指導権争いか何かの歴史的背景があると考えられる。もしかすると、彼らのうち一人がエフライム族の配偶者を持っていたため、彼らの争いは部族間の指導権争いになったのかもしれない。

スサノオの出雲占領

スサノオによる出雲占領は、彼が北ルートの部隊に先立つ戦闘的偵察隊を指導して、嵐のように行われ、そして彼らを朝鮮半島から日本へと渡らせたのである。しかし、彼が最初に日の昇る国に足を踏み入れた時には、彼はその支配権を手に入れることはできなかった。

江上波夫氏の研究

私の仮定がどれほど現実に近いか、1947年に発表された有名な日本人歴史家の江上波夫氏の研究が証明している。この研究で江上氏は、高い文化を持った騎馬民族が紀元4世紀ごろ九州から日本を占領した、と主張した。彼の研究によれば、この騎馬民族の宗教を現地の人々は受け入れ、彼らは圧倒的な宗教的影響を人々に与えた。

指導者スサ

日本における宗教儀式は、7~8世紀に至るまで神道のみであった。この騎馬民族と「馬」という意味のヘブライ名を持ち、騎馬部隊の先頭に立つ指導者スサとの関係は明らかなように思える。

アマテラスの子孫に

その理由はわからないが、旅団の指導部は支配権をアマテラスとその子孫とに与える決定を下した。おそらく旅団の指導部はスサの冒険好きで向こう見ず、また攻撃的な性格を良く知っていて、彼を列島占領の指揮官とすることを心配したのではないだろうか。

旅団の指導者たちの危惧

または、旅団全体を早く日本に渡らせて、そこに早く彼の支配権を確立しようとする彼の勇敢さと軽率さが逆に彼の罠となったのかもしれない。旅団の指導者たちは、かつてエフライム族が他のイスラエル諸部族に先立ってエジプトの脱出を急ぎ、彼らの軽率さ故にエフライム族のほとんどが死に絶え、イスラエル民族全体をも大惨事の危険に曝したことを記憶していたのかもしれない。

国譲り

スサの孫は彼のように攻撃的で機敏で狡猾ではなかった。アマテラスが派遣した代表団の圧力により、またすでに朝鮮に到達していたであろう旅団司令本部の指導者たちの後押しもあり、スサはその甥ニニギノミコトに政権を譲る。姉弟の政権争いは姉に軍配が上がった。彼女の子孫がこの国を受け継ぎ、統治することになるのである。

スサノオからアマテラスへ

以上の事柄はすべて北ルートの神々、つまり指導者たちが、なぜアマテラスの孫に日本の支配を任せたのかという問いに対する仮定であり、推測である。日本神話によれば、歴史的事実は、神々はスサノオの孫ではなくアマテラスの孫に約束の地の支配を委ねた、ということである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 17章14~21節

さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。

イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。

イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。

するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。

からし種一粒ほどの信仰

「からし種」とは小さいもののたとえでしょう。ほんの小さな信仰があれば、山を動かすこともできる。なんでもできる。不可能なことはない。イエスはそう教え、信仰のない時代を嘆かれました。本当の「信仰」とは、このように力あるものだとすれば、私はまだまだ「信仰」とは何かということさえ分かっていないことを思わされました。また、「信仰」とは、そのように力あるものであるということも同時に思わされます。神に目を留めつつ歩みたいと願わされます。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

10月17日(水)タピ大決定!

「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの5回目になりました。今回は「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~剣山・ソロモンの秘宝」と題して、この8月6日~16日の旅行のレポートをさせていただきます。お近くの方はぜひお出かけください。タピ大については、こちらのサイトをご覧ください。

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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