今日も瑞慶山道弘著「命どぅ宝」(球陽出版)から共感した内容をご紹介いたします。
マハトマ・ガンジー
インドがイギリスの植民地だった時に、インド総督のアーウィン卿(イギリス人)が、マハトマ・ガンジー(インド独立の父)に、相談した。彼はガンジーに「どうしたら、イギリスとインドとの間の諸問題を解決できるでしょうか」と聞いた。
キリストの教え
ガンジーは新約聖書のマタイ福音書を開いて、「あなたの国と私の国が、この『山上の説教』に記されるキリストの教えに従って、集まるなら、私たちの国の問題だけでなく、全世界の諸問題を解決できるでしょう。」と答えた。
敵を愛せよ
ガンジーは、聖書の愛読者であり、聖書に記された真理を、特に「山上の説教」の「敵を愛せよ」ということを、実践した平和主義者である。彼の指導した「非暴力抵抗」は、インドをイギリスから独立させただけでなく、世界中に大きなインパクトを与え、今なお多くの影響をおよぼしている。
非暴力の抵抗
戦争を否定し、平和を実現する一つの方法として「非暴力抵抗」というものがある。無抵抗ではなく、はっきりと戦争反対を主張し、抵抗する。しかし暴力は(もちろん武力も)使わないという行動である。
最も現実的
「非暴力抵抗」に対する批判もある。現実世界の平和は、力と力のバランスに過ぎないので、これは単なる理想であり、現実に対して全く無力だという批判である。しかし私は「非暴力抵抗」こそ、平和実現に対して最も現実的であり、無力ではなく実現力を持っていると確信する。
力の無力さ
もし力と力のバランスが平和を保障するのなら、最大の軍事国家アメリカは、理想的な平和を実現しているはずである。・・・今、アメリカは毎日のようにテロに怯えている。・・・「武力で相手をたたく」というやり方では、憎しみの連鎖が続き、暴力はエスカレートし、国際紛争は泥沼化してしまう。アメリカのやり方では、とうてい真の平和は実現できない。
断固たる決意
実は「非暴力抵抗」を貫くためには、忍耐力が問われる。どんなに挑発されても、実際に苦痛や被害を与えられても、決して暴力では対抗しないという、断固たる決意が必要であり、それを継続していくためにも忍耐が試される。(本からの抜粋引用は以上です。)
聖書の心、日本人の心
この平和思想に、沖縄人は共感する。それは沖縄の平和観に通ずるものだからであると著者は記しています。それは古代沖縄にもたらされた聖書の民の思想であり、今も沖縄人の心、日本人の心に引き継がれているのです。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄のみならず、日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。聖書の精神は日本人の心にこそ引き継がれているのです。
新約聖書 ヨハネによる福音書 10章1~21節
よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。門からはいる者は、羊の羊飼いである。
門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。羊飼いではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう。
父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。
これらの言葉を語られたため、ユダヤ人の間にまたも分争が生じた。そのうちの多くの者が言った、「彼は悪霊に取りつかれて、気が狂っている。どうして、あなたがたはその言うことを聞くのか」。他の人々は言った、「それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか」。
羊飼いのたとえ
羊飼いなら門から入る。門ではないところから入ってくる者は確かに盗人であろう。羊は羊飼いの声を知っているので、羊飼いについて行く。それによって誰が本当の羊飼いなのかは分かる。人々はこのたとえ話を理解できなかったとある。羊飼いとはイエス自身のことだろうか。羊とは神の民のことではないだろうか。神を求める者であれば、イエスが神の教えを教えていることが分かると教えているのではないだろうか。
わたしは門であり、良い羊飼いである
そして、イエスの教えに従い、神に立ち返って生きるなら、豊かに牧草に与る。また、イエスは人々のために十字架につくことを言っているのでしょう。私たちを救うために、自らの命を捨ててくださる。これが本当の羊飼いでしょう。
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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