【日本とイスラエル】偶像崇拝の禁止

神社の拝殿

古代イスラエルと日本に関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

偶像崇拝

古代神道では、偶像崇拝は完全に禁止されていたし、今日に至るまで神社は偶像、肖像の類とは全く無縁である。神道は「真っ直ぐな法」と呼ばれるが、世界のこの地域にあって、偶像も肖像も持たなかったのは唯一神道だけである。

ヤシャルの書

聖書にはその存在が示唆されているが、現存しない「ヤシャル(真っ直ぐ)の書」を彼らは所有し、その書の名で彼らの宗教が「真っ直ぐの法」と呼ばれたのであろうか?!

旧約聖書 出エジプト記の記述

もし彼らの手にかつて「ヤシャルの書」があり、それを学んでいたとすれば、当然偶像礼拝に関して聖書と共通することが書いてあったであろう。おそらくこの書の内容は、出エジプト記の次の箇所の精神と一致したと思われる。

「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない」。

神道の祭司たちの戦い

紀元6世紀に中国から仏教が日本に入り込んできた後も、神道の祭司たちの激しい戦いによって、彼らの神殿に偶像が入り込むことはなかった。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 12章44~50節

イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。

わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。

わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終わりの日にその人をさばくであろう。わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。

わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。

わたしをつかわされたかた

「わたしをつかわされたかた」とは、神のことでしょう。イエスの教えは彼自身の教えというより神からの教えだとイエスは言っています。

光としてきた

イエスの教えを受け入れ、神に立ち返って生きるなら、闇の中を歩むことはないと教えられています。

イエスの言葉

イエスの教えを受け入れない人がいても、イエス自身はその人をさばかないと言っています。しかし、イエスの教えは真実であり、それを受け入れるなら光の中を歩むことになりますが、受け入れなければ闇の中を歩むことになるでしょう。終わりの日にはそのことがはっきりとなると教えられています。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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