【日本人と日本文化】日本語の力

日本語が世界を平和にするこれだけの理由

今日も金谷武洋著「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」(飛鳥新社)からご紹介いたします。広島の平和公園の慰霊碑の碑銘については私も知っていましたし、以前にこのブログで取り上げたこともありましたが、金谷氏の文章を読んで、そうかもしれないと思いました。

主語は誰か

・・・2007年の夏に、久しぶりに訪れた広島で私は「世界平和への思い」を強くしました。具体的には、平和公園の中の慰霊碑の碑銘「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を見た瞬間です。

以前から、この二つ目の文を巡って「一体、過ちを繰り返さないと誓っているのは誰なのか」という問題が起きたことは知っていましたが、その日、広島に身をおいて、ふと私には、「誰の過ちか」が明らかにならない方がかえって日本語らしくていい、と思えたのでした。

つまり、本書で注目してきた「わたし」と「あなた」の共存が、ここでは「敵」と「味方」の共存という形をとっているということに思いついたのです。そう考えれば、敵はいつまでも敵ではなくなります。国境を越えて、広く地球という一つの星の上に共存する人類というところまで連帯の和を広げてゆくなら、戦争という異常な状況に敵もまた当事者、そして被害者として巻き込まれていたと考えられるからです。

確かに戦争では、ほんのひと握りの人たちを除いて、敵も味方もほぼ全員が犠牲者と言えるのです。「正しい戦争」などというものはありません。

9・11の事件

その全く逆の思想を現在世界中で見せつけられていることを皆さんは忘れないでください。とりわけ2001年9月11日のあの衝撃的な事件で、一部の国家、とりわけアメリカはすっかり冷静さを失ってしまいました。

そのときの大統領ジョージ・W・ブッシュ以下首脳陣は「キレた」のです。大統領が「旗を見せろ。敵なのか、味方なのか、どっちだ」と叫ぶ様子があまりに子供っぽく、私には実に「アメリカ的」に見えたものです。

・・・当時の大統領ブッシュがまず考えるべきだったのは「なぜこんな状況になってしまったのか」という「Why?」です。そうではなく、「誰が俺たちをやったのか」という「Who?」しかこの大統領は考えなかったのです。つまり典型的な英語脳で「主語さがし」をしたのです。

それで「反撃」に転じた結果がその後のイラクとアフガニスタンの戦争でした。ベトナム戦争では共産主義が仮想敵でしたが、今度の敵はイスラム原理主義です。テロを是とするイスラム過激派を容認できませんが、私にはアメリカの「正義病」も同様に恐ろしいのです。その両者が不毛な殺し合いを続けています。実に愚かなことだと言わざるをえません。

その意味では、今こそ、日本の出番なのです。日本的な共存、共生の思想は大袈裟でなく、地球を救える力を持っているのですから。その力の源泉が日本語であることこそ、本書が明らかにしようとしたことなのです。

日本語の力

日本語ほど、話者と聞き手を分離せず、進んで同じ地平に立って、できれば同じ袋に入ろうとする言葉は他にありません。その意味では、少なくとも私が学習して知っている10を越える言葉の中で、日本語は最も平和志向の、ロマンチックで幸せな、美しい言葉だと自信を持って言うことができます。

英語に代表される他動詞のSVO構文を基本とする言語の根本的な問題は、その構文が発想として「SとOの分離による二元論」、そして「S(主語)のO(目的語)に対する支配」へと繋がるということにあります。さらに、Sには「力」とともに「正義」がしばしば与えられてしまうのが一番危険なのです。英語を始め西洋の言語の話者が何か失敗をしてもあまり謝らないのはそのためでしょう。自分は力と正義が与えられるSの位置を常に保っていたいと思うからです。

たかが言葉、と思うことなかれ。言語学者や心理学者によっては「母語、つまり子供のときに家庭で覚えた言葉で、世界の見方が決まる」とまで言い切る学者もいるぐらいなのです(「ウォーフ・サピアの仮説」と言います)。そう、言葉は私たちの心を作るのです。(本からの引用は以上です。)

日本人の信仰が世界を救う

私は日本語だけでなく、日本語を含む日本人の心、日本人の国民性、人間中心を退けて、神の前に正しく生きることを良しとする日本人の信仰こそが世界を救う鍵だと思っています。それは古代日本にやってきたイスラエル系渡来人の信仰にさかのぼることができるものであり、聖書の信仰だと思います。聖書は決して西洋の宗教の教典ではなく、むしろ日本人の心の中にこそ引き継がれているものであることをすべての日本人に知っていただきたいと思っています。

今こそ神に立ち返る

しかし、その日本人であっても、生まれながらに人はみな自己中心であって、すべての人が神に明確に立ち返る必要があると思います。それは何かの宗教を信仰することではありません。何かの宗教団体の会員になることでもありません。天地万物の創造主である神に立ち返り、神の前に人類がみな手を取り合って、助け合って、神の御心にかなう生き方をすること。それこそが日本人が太古の昔から大切にしてきた心に他ならないと思います。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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