今日も林房雄著「大東亜戦争肯定論」の第三章「明治維新と英仏謀略戦」から一部を抜粋してご紹介いたします。
岩倉具視
薩長側の「奸物公卿」と呼ばれた岩倉具視に「全国合同策」という手記がある。
「目今天下の禍患切迫の時に当り、国内に干戈を動かし骨肉相食むは、皆醜夷の術に陥るものなり、蚌鷸の争は遂に漁夫の利なり、兄弟相鬩ぐの隙に乗じ、醜夷の艨艟海を蔽うて来らば、何を以てこれを防躛せんや。・・・君子小人、国内に紛争する時、他力の者は其党を樹て、寡力の者は外権を仮るは、古今の通患なり。外権を仮るとは外夷の力を仮ることにして、恐るべく憂うべきなり」。
具視はここで、唐宋元明の歴史を引用し、支那の各王朝が突厥、契丹の兵を借りたために亡国への道を開いた先例をあげ、「これ他邦の談として看過すべからず。もし今日我が皇国にして之に類することありとせんか、たとえば西国は墨夷(アメリカ)を引き、中国四国は英夷(イギリス)を引き、北国は魯夷(ロシア)を引き、東国は仏夷(フランス)を引き、遂にこれら諸夷の権力を仮り、相互に勢を争いて攻伐せば・・・金甌無欠宇内に冠絶する皇国は、犬羊に均しき外夷の管轄に属するに至らんこと明鏡の如し」
身をかわした日本
慶喜の憂いもまた具視の先憂と同質のものであり、故にロッシュの提案を拒絶したのだという『徳川慶喜公伝』の解釈は正しい。歴史は素直に読むべきである。「裏舞台」ばかりのぞいていると、とんだ溝泥に落ちこむ。フランスが幕府をあやつり、イギリスが薩摩をあやつったのではない。・・・あやつったのはむしろ日本側である。もちろん、余裕をもってあやつったのではない。幕府も薩長も土肥も、ひたすらに日本の分裂と植民地化を恐れ、苦労し、苦心し、精魂をつくして、外国の「援助計画」から危く身をかわした。
大東亜百年戦争
東洋の植民地化は18世紀から20世紀初頭にかけての「欧米列強の歴史的使命」であった。東洋の一小国日本はその「使命」の実現をあやうい土俵ぎわでくいとめた。「列強」は日本に関するかぎり、数十歩後退して漸攻戦法に出るよりほかはなかった。「大東亜百年戦争」はここにはじまっている。列強にとっても日本にとっても、それは百年戦争たらざるを得なかったのだ。(本からの抜粋引用は以上です。)
特別な日本
欧米列強の計画が唯一思惑通りに進まなかった国、それが日本であることが分かります。日本には特別な神の計画があるのではないかということを、このような歴史的事実を通しても感じさせられます。それは何か。聖書預言の成就ということも感じさせられます。世の終わりに、世界は、そして日本はどのようになっていくのでしょうか。
聖書を読みましょう
聖書を読む必要性があります。なぜなら、聖書には日本に関すると考えられる終末預言が記されているからです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開いてみてください。
新約聖書 使徒行伝 18章1~11節
その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。
パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。
シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、パウロは御言を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。
しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。
会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる。」。
パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の言を彼らの間に教えつづけた。
語りつづけよ
コリントという町でパウロはイエスがキリストであるとユダヤ人に語りました。それはイエスこそが旧約聖書が預言しているメシヤだということですが、ユダヤ人の多くはそれを受けいれなかったため、パウロは異邦人の方へ行く決心をしたことが記されています。多くのコリント人がパウロの話を聞いて、その弟子となることを示すバプテスマを受けたとあります。パウロの話の内容は記されていませんが、ユダヤ人ではない人々にイエスがメシヤだと言っても、理解できなかったでしょうから、やはり自己中心、人間中心を退けて、神に立ち帰り、神を中心にして生きる神の国ついて語ったのではないでしょうか。それは宗教を超越し、すべての人々にとって重要な救いのメッセージだったのではないでしょうか。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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