今日も林房雄著「大東亜戦争肯定論」の第五章「武装せる天皇制」から一部をご紹介いたします。これからの日本の歩みを考える上で、正しい歴史認識を持つことは大変重要なことだと思います。
武装せる天皇
祭司も神官も、民族の危機においては武装する。戦争が発生すれば、その総指揮官となり、終われば再び平和な祭司神官にかえる。明治維新から昭和敗戦に至る三代の天皇制は明らかに武装していた。
歴史に見る武装せる天皇
しかし、天皇の武装は決してそれがはじめてではなかった。なるほど、西洋風の武装をしたのは、明治維新後がはじめてだが、唐風の武装も埴輪人形の武装も、ちゃんとした武装である。神話の神武天皇も神功皇后も武装していた。彼らが実在の人物ではないとしても、日本民族の歴史のはるかな初期に、天皇が武装していたことは、考古学的に証明できる。建武中興の天皇制もわずか二年間であったが武装した。
七百年の空白
武装の点では、天皇制には約七百年の空白があった。だから、ある人々の目には、天皇の武装は明治維新によって突如として行われたかのように見える。・・・だが、即位した明治天皇が少年ではなく老年であっても、天皇制の急速な武装が必要であった。「東亜百年戦争」はすでに始まっていたのだ。・・・それができなければ、侵略され、占領されて、植民地化されてしまう。
武装天皇制の前進
西洋に追いつくための前進ではなかった。追いついて戦うための――いや、現に戦いながらの前進であった。敵は今のところ海の彼方にいて、戦闘は小休止しているが、いつ攻めてくるかわからぬ。すきを見せたら、進攻してくる。できれば、敵が進攻して来ない先に出撃したい。だが、間にあうかどうか。国内にのこるものは練兵の軍靴にふみ荒された田と畑。農民の疲弊と貧困。一部の政商の暴富。ちぐはぐで矛盾だらけの「文化」。ただ武装した天皇制だけが前進した。しかも、奇妙なことに国民もまた天皇とともに前進したのだ。大混乱の中で、国権運動と民権運動を同時にひきずりながら、次第に重武装しつつ、しゃにむに前進する明治大正昭和天皇制の姿は、継続している「一つの戦争」を仮定せずには説明も理解もできない。
非武装天皇制
同じ見地から、全く逆のことが敗戦後の「象徴天皇制」について言える。「東亜百年戦争」は昭和二十年八月十五日に終った。敗戦と降伏という形で終ったために、敵軍によって武装解除されたが、いずれにせよ、戦争状態の終結は「武装せる天皇制」を終結させた。にもかかわらず、天皇制そのものは存続した。戦争が終われば、天皇は平和な祭司または族長にかえる。・・・この非武装天皇制もまた国民に敬愛され親愛されつつ、少なくとも何百年間はつづくかもしれない。天皇制がもし解消され消滅する時があるとすれば、それは日本国民が天皇とともに地球国家の中に完全に解消する時であろう。その時期がいつであるか、どれほど長い、または短い時間の後であるかは、神のみぞ知る。そこに至る前に日本国民が再び天皇制を武装しなければならぬ不幸な事態がおこらないことを、私は心から望んでいる。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、習慣、国民性、天皇制のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開いてみてください。
新約聖書 使徒行伝 19章8~10節
それから、パウロは会堂にはいって、三か月のあいだ、大胆に神の国について論じ、また勧めをした。ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた。
神の国について論じ、また勧めをした
神の国とは、自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神を中心にして生きる生き方のことであり、それが神の国だというイエスの教えのことでしょう。パウロは人々に神に立ち帰るようにと勧めたのでしょう。パウロはあしざまに言うような人とは論争せず、彼らから離れ、ツラノの講堂で毎日、二年間論じました。皆が神に立ち帰ったわけではなかったと思いますが、皆、その教えを聞いたということだと思います。それでどうするかは、一人一人の問題だと思います。人は皆、神に対して、どういう態度で生きるのかを決めなければならないと思います。それは誰の責任でもなく、本人の責任だと思います。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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