2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。詳しくは10月18日(金)タピ大でも講演させていただきますが、ブログでも少しレポートさせていただきます。 今日は女性の汚れの観念について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。
赤不浄(チーブジョウ)
沖縄には、赤不浄(チーブジョウ)という言葉があるように、女性の月経や、妊娠中、また産後に関する汚れの観念が、古くから伝わっている。同じ観念が、日本各地にあり、月経中の女性は、集落内に設けられた月経小屋(月経の時にこもる特別な小屋)に、月経中およびその後の七日間(数日の所もある)こもらなければならなかった。
沖縄本島南部、宮古・八重山地方の風習
沖縄本島南部の地域では、月経中の女性は、たとえ神人(カミンチュ)でも御嶽(ウタキ)や聖所に入ってはならないとされていた。宮古・八重山地方では、出産の汚れをシラ不浄と言い、不浄が晴れるまでは、お産のある家を神職関係者は訪問しないとされていた。
久高島での風習
久高島では、集落内で出産があると、その女性は3日間、御嶽(ウタキ)に入ることができなかった。また祭りが行なわれている間は、月経中の女性たちは、徳仁港にあるイラブー小屋(イラブー漁の小屋・冒頭写真左奥の小屋)で、儀礼が終わるのを待たなくてはならないのである(「おきなわルーツ紀行」小林ゆうこ、与儀喜美江共著)。
古代イスラエルの風習
このような血の汚れに関する風習や観念は、古代イスラエルのものと非常によく似ているのである。イスラエルにおいても月経中の女性は、神事に参加できず、月経小屋にこもることが行なわれた。こもる期間は、月経中およびその後の「7日間」であった。
「彼女が出血の汚れから清くなり、七日間(こもる期間)が過ぎたならば、その後は清くなる。」(レビ15:28)
この「こもる」ことを、「血の清めのためにこもる」といった。それは清めのためであり、汚れを家や村にもちこまないためであった(「日本・ユダヤ封印の古代史」ラビ・マーヴィン・トケイヤー著)。また月経小屋にこもる忌みの期間が終わると、女性は川や泉などの自然の水で「ミクベ(沐浴)」をし、身を洗い清めた。ただし自然の水がないときは、浴槽でもよいとされていた。(ブログからの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、風習、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の原点を知るために聖書を読んでみてください。
新約聖書 使徒行伝 24章1~9節
五日の後、大祭司アナニヤは、長老数名と、テルトロという弁護人とを連れて下り、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されたので、テルトロは論告を始めた。
「ペリクス閣下、わたしたちが、閣下のお陰でじゅうぶんに平和を楽しみ、またこの国が、ご配慮によって、あらゆる方面に、またいたるところで改善されていることは、わたしたちの感謝してやまないところであります。しかし、ご迷惑をかけないように、くどくどと述べずに、手短かに申し上げますから、どうぞ、忍んでお聞き取りのほど、お願いいたします。
さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。この者が宮までも汚そうとしていたので、わたしたちは彼を捕縛したのです。〔そして、律法にしたがって、さばこうとしていたところ、千卒長ルシヤが干渉して、彼を無理にわたしたちの手から引き離してしまい、彼を訴えた人たちには、閣下のところに来るようにと命じました。〕それで、閣下ご自身でお調べになれば、わたしたちが彼を訴え出た理由が、全部おわかりになるでしょう」。
ユダヤ人たちも、この訴えに同調して、全くそのとおりだと言った。
ペリクスへの感謝
テルトロの論告はペリクスへの感謝の言葉で始まりました。それは当時の慣習であったのか、それともペリクスの好意を得るためであったのか分かりませんが、ローマの統治によって平和な生活が守られていたことは事実であり、このように感謝して生活することは大切なことだと思います。
テルトロの訴え
テルトロの訴えの内容は、パウロが騒ぎを起している異端のかしらであり、エルサレム神殿を汚そうとしたので捕縛したというものです。どうでしょうか。この訴えには神様の前に正当性があるでしょうか。まず、騒動を起しているのはパウロ自身ではありませんでした。パウロは騒動を主導したこともありません。ただ、大切なことはユダヤ教という宗教を守ることではなく、神に従った生活をすることだというイエスの教えを伝えたに過ぎません。また、宮を汚そうとしたという事実はありません。しかも、律法に従ってパウロを裁こうとしていたというのは嘘であり、そのように見せかけてパウロを殺害しようとしていたというのが事実です。このような訴えにどんな正当性があると言えるでしょうか。神様の前にそれは正しいことではないことは明らかだと思います。大切なことは神に従うことです。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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