【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(23)宮古島のパーントゥ

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日は宮古島のパーントゥについて、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。

パーントゥ・プナハ

宮古島の島尻の年中行事に「パーントゥ・プナハ」と呼ばれる祭事がある。パーントゥとは、お化け、鬼人、妖怪というような意味の言葉(方言)であり、「プナハ」とは、人々が寄り集まって行なう、神酒(みき)による酒宴の祈願祭のことである。それで「パーントゥ・プナハ」とは、パーントゥ神の祭りという意味である。このパーントゥ祭は、村の厄払いをし、無病息災を得させるために行なわれる。パーントゥ神は、人々にとって厄払いの神、健康や幸いをもたらしてくれる神となる。

3人のパーントゥ神

このパーントゥ神は、集落から3人の若者が選ばれ、全身泥だらけの異形の神に扮する。まずはキャーンというつる草で、体を覆い、産井(ンマリガー)と呼ばれる古井戸の底にたまっている泥を、パーントゥの全身に塗りつける。そして、最後に片手でパーントゥの仮面を持ち、それを顔の前に持ってくれば、パーントゥの完成である。三体のパーントゥが出現し、それぞれ

① 親(ウヤ)パーントゥ
② 子(ッファ)パーントゥ
③ 中(ナカ)パーントゥ

という。彼らは集落内に出向き、人、家、車に泥を塗りまくる。泥は無病息災をもたらすと言われている。

聖書の神との類似

この島尻のパーントゥも、聖書の三位一体の神と良く似ている。聖書の三位一体の神は

① 父なる神ヤハウェ
② 御子なるイエス・キリスト
③ 聖霊なる神

の三つであるが、それぞれ対応させてみると、

① 親(ウヤ)パーントゥ=父なる神ヤハウェ
② 子(ッファ)パーントゥ=御子なるイエス・キリスト
③ 中(ナカ)パーントゥ=聖霊なる神

となる。①の「親(ウヤ)パーントゥ=父なる神ヤハウェ」、②の「子(ッファ)パーントゥ=御子なるイエス・キリスト」は、見事に対応しているが、③の「中(ナカ)パーントゥ=聖霊なる神」が、どのように対応しているかは、説明が必要である。

聖霊なる神

イエス・キリストの誕生において、神の霊、つまり聖霊によって、処女マリヤが身ごもったエピソードは有名である。「聖霊によって」とあるように、その時、父なる神とイエス・キリストをつないだのが、聖霊なる神なのである。それで「中(ナカ)パーントゥ」は「聖霊なる神」と対応しているということができる。

「神は三神」という信仰

このパーントゥ・プナハの起源は、ずっと古い時代に、島尻の北東部のクバマという海岸に、クバ(びろう)の葉に包まれた仮面が流れ着いていたので、その仮面を使って、村の厄払いの行事に用いたのが、その始まりだと言い伝えられている。流れ着いた仮面が1個だったか、3個だったか、その確かなことは分かっていない。村の何人かの古老の話では、たぶん1個だったのではないかということである(「島尻のパーントゥ調査報告書」平良市教育委員会編)。もしそうなら、仮面が流れ着くよりも以前から、島尻には「神は三神」という信仰があったことになる。

「アダマー(土)の神」との一致

また、この泥から産まれた、全身泥まみれのパーントゥ神は、土で人間を形づくったという神を思い起こさせる。前述した沖縄の創造主、「アダマーの神」とも関係があるのかもしれない。

塩と酒

このパーントゥ・プナハでは、パーントゥが登場する前に、島尻にある4つの里(サトゥ)で、塩と酒を用いて、神前に供え物をし、儀礼を執行する。その時に、12枚の木の葉を皿がわりにして、その上に塩を盛って置き、さらに12枚の木の葉の皿に、神酒(みき)を注ぐのである(「島尻のパーントゥ調査報告書」平良市教育委員会)。

ここでも12

このように神前の供え物に塩と酒を添えて捧げる風習が、ユダヤ的であることは前述した(「供え物は塩と酒を添えて捧げる」を参照)が、ここで注目したいのは、12という数である。御願(ウガン)で線香を立てる時も、中神(ナカジン)の三本香の他に12本の線香を使って、「四隅拝み」をする。これは12方位の神々や12の神の使いのためと言われる。この12という数字が、イスラエルの12部族、キリストの12弟子など、非常にユダヤ的なのである。さらにイスラエルの12部族は、12方位ともつながりがある。古代イスラエルにおいて、荒野で宿営する時には、幕屋(移動式の簡易神殿)の周りに12部族が決められた順にテントを張った。それで各部族は、それぞれの方位をも示していたのである。

来訪神

さらに、このパーントゥ神は、来訪神と言われており、外から伝えられた神である。また沖縄の祭事において祀られる神の殆どが、来訪神とされており、ニライカナイ信仰(遠い海の彼方に、理想郷の神の国がある)も、そのような来訪神(外から伝来した神)を示している。(ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 26章9~11節

わたし自身も、以前には、ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動をすべきだと、思っていました。そしてわたしは、それをエルサレムで敢行し、祭司長たちから権限を与えられて、多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表しました。

それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。

反対の行動をすべきだと思っていました

かつてパウロはユダヤ教の指導者として、イエスの弟子たちを迫害していました。そうすべきだと、それが正しいことだと思っていたと言っています。罪悪感を持たずに、意見が違うという理由だけで、無実の人を投獄したり、殺すことに賛同したりすることができたということだと思います。これが宗教やイデオロギーの恐ろしさではないでしょうか。しかし、それは決して神の御心ではありません。 宗教やイデオロギーを取り除き、 良心で判断するなら、正しく判断できるのではないでしょうか。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

本をお求めください
本の表紙

Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。電子版は100円。文庫版は2,182円。日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、読んでみてください。詳しくは書籍情報をご覧ください。

目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

「日本人の幸せ」(電子版100円)をお買い求めください!

Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が販売されました。一人でも多くの方に読んでいただけるように、電子版の価格を100円といたしました。(文庫版も好評発売中。詳しくはAmazonのサイトでご確認ください。)レビューのご協力もよろしくお願いします。

目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA