日本文化の中に引き継がれる聖書の信仰
月曜日のテーマは「日本とイスラエル」です。古代日本にはイスラエル系渡来人の影響が大きくあって、その痕跡を現代の日本人の価値観、信仰、文化にも見出すことができることは驚きです。日本人が太古の昔から崇めて来た神様は、キリスト教の伝統とは違いますが、聖書の神様であり、日本文化の中には聖書の信仰が引き継がれていると私は思います。先週に続いて、坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。
ユダヤの神殿にもあった狛犬
ユダヤの神殿の様子を聖書の記述から再現してみると、まず目に留まるのが狛犬(こまいぬ)のような像の存在である。日本の神社の入口にも置かれてる二頭の動物の像だ。狛犬と言われるが、実際は毛むくじゃらで、まさにライオン、獅子である。この神の宮の両脇に獅子を据える風習は、古代ユダヤ独特のものであり、ソロモン王の時代に始まったと考えられている。岐阜県の「狛犬博物館」のホームページなどによると、「狛犬は古代オリエントでライオンの像を王の身近に置いたのが始まりとされる」とある。つまり神社にある狛犬のルーツは中東、つまりイスラエルだったのではないか。(以上、「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」より抜粋)
阿吽(あうん)
また、狛犬の一方は口を大きく開けており、もう一方は口を固く閉じています。これは阿吽(あうん)を表していると言われています。阿(あ)とは初めであり、吽(うん)は終わりで、宇宙の始まりと終わりを表すとされていますが、次の新約聖書のヨハネの黙示録に記されている言葉をご覧ください。
新約聖書 ヨハネの黙示録1章7~8節
見よ。彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
それは聖書の神様を示している
聖書の神様はご自身を「アルファであり、オメガである」と言っていますが、アルファとはギリシャ語アルファベットの最初の文字であり、オメガは最後の文字です。つまり、それは阿吽と全く同じなのです。宇宙の始まりであり、終わりである。そうやって日本のどこの神社の入口においても、そこに聖書の神様がおられることを示しているのではないでしょうか。このような痕跡が日本文化の中にはたくさん残されています。それでは今日も聖書の続きを読んで、この神様に思いを向けてみましょう。
新約聖書 ルカの福音書18章15~17節
イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
難しい話ではありません
人々が幼子を連れて来たら、弟子たちがそれを見てしかったとあります。ここは子供なんか連れて来るところではないということでしょうか。でも、神様の思い、神様の願い、また神様の守りを中心にして生きる神の国とは、決して難しい説明ではありません。高尚な悟りではありません。むしろ神の国は、このような子供たちのものだとイエスは言いました。誰に教えられなくても、子供は親の守りを必要とします。親の守りがなければ生きて行くことさえ出来ません。何が良いことなのか。何をすべきなのか。すべて親の判断に信頼し、依存していると思います。そのように神様に信頼し、神様に頼り、神様の思いを中心にして生きる神の国はまさに、そのような者たちのものだと思います。
決してそこに入ることはできません
そのような子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできませんとイエスは教えました。何が良いことなのか。神様の願いは何か。それは難しい話ではありません。誰にでも分かることだと思います。でも、いろいろと理由をつけて、それを実行しない自分がいるかもしれません。しかし、神の国に生きる秘訣は極めて単純だと思います。子供の様になって、それを実行することだと思います。
神の国は日本人の心
いろいろと大人は事情を抱えていると思います。でも、本当の人生は単純なのだろうと思います。そのような心を日本人は太古の昔から大切にして来たのではないでしょうか。複雑な時代になってしまったと思います。こんな時代だからこそ、単純になって、子供のようになって、良い事は良い、悪い事は悪いとして、中心を神様にしましょう。それが神の国であり、そこに全ての問題の解決があると思います。