日本人と日本文化はどこから来たのでしょうか

枯山水

面白い記事を見ましたので一部ご紹介いたします

火曜日のテーマは「日本人と日本文化」です。「日本や世界や宇宙の動向」というブログで面白い記事を見ましたので一部ご紹介いたします。とても共感する部分がありました。

日本人の高い文化

日本は、太古の昔から高い文明が存在し、意識も高く、知能も高く、秩序や規則を守り、勝手な行動をとるよりは協調性と団体行動を重んじ、思いやりがあり。。。など、色々言われますが。。。。本当のところは、なぜでしょうか?島国であり、日本語という難しい言語があるため、他国よりは外国人の流入が少ないから?

一体、日本人の魂はどこから来たのでしょうか。宇宙のどこから来たのでしょうか。

最近、小学校で英語教育が強化されつつありますが、もしも。。。そのことにより、義務教育から英語が重視され国語の勉強が軽視されたら、絶対に良いことはありません。これまでのような日本社会は維持できなくなります。なぜなら、スカンジナビアのように母国語(日本語)よりも英語を話す人が増えると、要らない外国人が住みやすい国となり移民が増え続けるからです。ヨーロッパの悲劇は移民が増えたことも理由の一つに挙げられます。

英語が重視され、国語が軽視されると、日本の歴史、伝統文化も軽視されかねません。そして、これまでの素晴らしい日本社会も崩壊してしまうでしょう。日本はあくまでも永遠に特殊な言語の孤立した島国であり続けるべきです。(ブログからの引用は以上です。)

日本文化の軽視は心配です

この方は英語が重視され、西欧文化が重視され、日本の文化が軽視されるようになることを危惧されていらっしゃるようです。「日本はあくまでも永遠に特殊な言語の孤立した島国であり続けるべきです。」というのは、とても面白い主張ですね。私は英語が出来るようになって、日本の優れた文化を海外に発信できるようになることは悪いことではないと思いますが、日本語や日本文化が軽視されることは確かに心配しています。日本人は日本文化の何が素晴らしいのかを良く自覚して、それを大切にすること。それが世界の祝福になると私は思っています。

それは神様を中心とする生活から

また日本人の高い文明、意識、倫理観はどこから来たのだろうとこの方も言っておられますが、それは神様を中心にするという聖書の信仰から来ていると私は思っています。それは何か特定の宗教を信仰することではありません。高い文明も、意識も、知性も、秩序も、協調性も、思いやりも、全て神様から出てくるものだと私は思います。宗教ではありません。逆に自己中心から出て来るものは堕落であり、不品行であり、愚かさであり、無秩序であり、紛争ではないでしょうか。

今、神様を中心にすること

宗教も、民族主義も自己中心から出てくるものであれば、それは人類に滅びをもたらすことになるでしょう。しかし、神様を中心にするなら全ての問題に解決と平安がもたらされることになると思います。それは遠いどこかで起っていることではなく、今、あなたのただ中にある問題だと思います。自分を中心にするか、それとも、神様を中心にするのか。

世界の平和もあなたから始まると思います

何かの平和運動をすることも大切なことだと思います。でも、もっと大切なことは、あなたが神様を中心にして生きることだと思います。家族の幸せも、日本の未来も、世界の平和も、あなたが神様を中心にして生きることから始まっていると思います。何かの宗教をやることではありません。今、神様を中心に生きてください。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様を中心にすることについて考えてみましょう。

新約聖書 ルカの福音書20章45~47節

また、民衆がみな耳を傾けているときに、イエスは弟子たちにこう言われました。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

宗教家として立派に見える律法学者

律法学者の自己中心は大きな問題だと思います。宗教家らしい服装をし、人々から一目置かれることを求め、やっていることは弱い者いじめ。神様の願いや神様の思いについてはこれっぽっちも考えていません。これでは人一倍きびしい罰を受けることになるでしょう。もともとは神様の教えから始まったのだと思いますが、いつの間にかそれが自己中心のための宗教になってしまうということがあり得るということだと思います。誰でも、こういうことに気をつけなければならないと思います。

問題は自己中心だと思います

全ての宗教が悪い訳ではないと思いますが、宗教が自己中心を正当化するための手段となり、自分達の教えだけが唯一絶対であるということになれば、他の宗教や考えとは対立するしかなくなってしまうと思います。他の教えも尊重しましょうと教える宗教であれば、それも良いのかもしれません。でも、大切なことは神様を中心にすることだと思います。

それは自己中心から出ているのか、それとも神様中心なのか

自己中心は誰にでもある問題だと思います。律法学者の問題は決して他人事ではないと思います。だから、気をつけなければならないと思います。いつも神様を中心にした生活を心がけましょう。そのために毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読みましょう。それが結果として日本人の高い倫理観、文明、知性、意識を作っていくことになると思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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