日本人の何が優れているのかを正しく知るために

お辞儀する女性

「日本人と日本文化」をテーマに取り上げる理由

クールジャパンという方の「自覚すべき日本の良さ」という記事に共感するところがありましたのでご紹介いたします。火曜日のテーマは「日本人と日本文化」です。私が火曜日にこのテーマを取り上げている理由は、まさにこの方がおっしゃていることと重なります。

自覚すべき日本の良さ

日本人にとって当たり前と思われていることが、実は世界にとって当たり前ではない。それでいて日本人は、そのことの重要性をあまり気づいていない。しかし今、日本人自身が自分たちの文化やそのユニークさとその意味をもっと自覚すべきときに来ていると思う。日本の社会や文化、そして日本人の人間関係に含まれる見えない長所、日本人が多かれ少なかれもっている道徳心、好奇心、改善や創意工夫の意識、仕上げに凝る、仲間を助けるなどの姿勢などを、日本人はしっかりと自覚し、それを守っていくことがますます大切になっている。

それらは、日本人にとって当たり前すぎることなので、これまではきちんと分析して対象化する必要など感じなかったかもしれない。しかし、自分たちの文化や伝統にどのような意味と価値があるのかを知らずにいると、グローバリズムという名のもとに国外から押し寄せてくる変化の波によって、それらがかんたんに失われてしまい、取り返しのつかないことになる。だからこそ、これからはそれらがどれほど「価値ある資産」としてプラスの意味をもっているのかを、分析し、可視化し、体系化することがきわめて重要となる。分析され、その資産としての意味が自覚化されることで、その長所を守り、さらに活かし、伸展させていく方法も見えてくるからだ。

私は、これまでこのブログで、不十分ながらそのきっかけとなるような試みをしてきた。たとえば日本の長所として次のような11項目を挙げて見た。これらは、日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、その最大公約数的なものを整理したものである。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている
3)治安のよさ、犯罪率の低さ
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

それは神様を中心とする生活によってもたらされた

ブログからの引用は以上です。このような日本人の宝を良く自覚し、失わないようにしたい。そして、このような宝は太古の昔から日本人が神様を中心とした生活をしてきたことによると私は思っています。それは何か特定の宗教を信仰することではありません。日本人は特定の宗教を信仰することには一定の距離を置いているように思います。神様を中心とした生活は特定の宗教を信仰することではなく、日本人の魂だと私は思っています。

聖書を読んで神様に思いを向けましょう

それでは今日も聖書の続きを読んで、神様に思いを向けましょう。聖書の神様は本来、何か特定の宗教の神様ではありません。私たち日本人が太古の昔から崇めて来た神様に他ならないのです。

新約聖書 ルカの福音書22章1~6節

さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダにサタンが入った。ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。ユダは承知した。そして群衆のいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。

過越の祭り

過越の祭りとは、ユダヤ教の三大祭りの一つで、毎年春分の日の後の最初の満月の日に祝われます。かつてエジプトで奴隷であったイスラエルの人々が神様の偉大な奇跡によってエジプトを脱出したことを祝うお祭りです。この時にはパン種の入らないパンを食べます。過越の祭りが近づいていたので、エルサレムには多くの人々が集まっていたと思います。

ユダにサタンが入った

祭司長、律法学者など体制側の人たちはイエスを殺そうと企んでいました。そんな時に、何とイエスの十二弟子の一人であるイスカリオテと呼ばれるユダが祭司長たちのところにやって来たというのです。ここで、ユダにサタン、つまり悪魔が入ったと書かれています。目には見えませんが、悪魔っているんだなと思います。それは神様の思いに反逆する存在でしょう。神様を中心にしていないと、悪魔が入って来ちゃうってこともあるのかもしれません。

気をつけましょう

だから気をつけましょう。当たり前のことですが、神様を中心にするなら、平和、秩序、正義、愛、喜び、命に導かれますが、悪魔の思いを中心にしたら、憎しみ、争い、差別、自己中心、不品行、死へと導かれて行ってしまうと思います。何を中心にしているのかっていうことは大変重要なことだと私は思います。神様を中心にしましょう。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA