悩みもいろいろあると思います
人間関係の悩みと一言で言っても、いろいろあるのではないでしょうか。自分は他人からどう見られているのだろうかと心配している人もいるかもしれません。そのような人は、自分に対する人の言葉や視線、態度に過剰に反応してしまうこともあるかもしれません。またある人は、回りに苦手なタイプの人がいるのかもしれません。その仕草や言葉、臭いや服装までも気になるという人もいるかもしれません。
他人とどう関わるかということの前に
人間関係をうまくやるための技術について、日頃私が気を付けていることなど、このブログでもすでにいくつかご紹介させていただいておりますが、最も大切なことは、他人とどう関わるかということの前に、自分をどう生きるかということを考えることではないかと私は思っています。それは先週も書きましたように、人間関係を中心にするのではなく、神様を中心に人間関係を検証するということにも繋がることだと思います。
まず自分を確立する
人生とは単に人とうまくやれれば、それで良いというものでもないと思います。時には、たとえ人間関係が悪くなったとしても守らなければならない正義というものもあると思います。大切なことは、神様の前に自分はどういう生き方をするのかということをしっかりと確認することが先決だと私は思います。それが明確でないと人間関係という波に翻弄されるような人生になってしまうのではないでしょうか。
人間関係の意味とは
それと同時に、神様の前に自分はどう生きるのかということを考える上で、今度は人間関係が意味を持って来ると思います。人間関係を離れたところに私たちの生き方があるのではなく、まさに人間関係のただ中に私たちの生き方はあると私は思います。ですから、人間関係を一時的に離れて山の中で一人考えることはあっても良いと思いますが、また人間関係の中に戻ることが大切ではないかと思います。
生き方を検証する
でも、そこは難しいですね。一律には言えないかもしれません。人間関係が嫌だということで山に籠る自分。それも人間関係の中で何かを気づかされている自分なのかもしれませんね。そこで神様を中心にして、生きるとは何かを考えることもあっても良いのかもしれません。いずれにしても、私たちは人間関係という現実の中で、神様に目を上げて、自分はどう生きるのかを検証することが大切ではないかと思います。つまり、人間関係を目的にするのではなく、その中で自分の生き方を検証することが大切ではないかと私は思います。
人間関係の中で神様を見上げる
皆さんも様々な人間関係の中に置かれていると思います。人間関係と無関係という人はまずいないと思います。その現実のただ中で、今日も聖書の続きを読んで、神様について、人生について検証してみてください。
新約聖書 ルカの福音書22章63~71節
さて、イエスの監視人どもは、イエスをからかい、むちでたたいた。そして目隠しをして、「言い当ててみろ。今たたいたのはだれか」と聞いたりした。また、そのほかさまざまな悪口をイエスに浴びせた。
夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、こう言った。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」 しかしイエスは言われた。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。
しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」 彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」 すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた。すると彼らは「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たちは自身が彼の口から直接それを聞いたのだから」と言った。
彼らの目的は何か
「キリスト」とは、ギリシャ語で「救い主」、つまり旧約聖書に書いてある「人となった神様」を表す言葉です。「人の子」とも言われています。イエスはユダヤ人の議会で「キリストなら、そう言いなさい」と言われました。彼らが求めているのは真実ではなく、イエスを有罪とする証言だったことは明らかだと思います。
本当の事を知りたい
自分の意見を通したいのでしょうか。そのためにはあらゆる努力を惜しまないのでしょうか。私たちは皆、そのようにしたいという思いがない訳ではありませんが、それでは真実はいつまでも見えては来ないと思います。自分の考えや信念を改めることは簡単でないこともありますが、私は本当の事を知りたいと思います。
神様に真実を求め続ける
つかの間の自己満足と真実から目をそらした人生の代価は取り返しがつかない程、高くつくのではないでしょうか。つまらないプライドにすがりつくより、私は本当のことを知りたいと思います。もちろん、私たちは全てを知ることはできないと思います。それでも今日までずいぶん目が開かれたことがあったなあと思います。これからも神様は私に必要なことは教えてくれると思っています。自分ではなく、神様を中心に歩み続けてまいりましょう。