それは決定的な違いなのか
太古の昔から日本人が崇めて来た神様は聖書の神様だとお伝えしています。しかし、日本の神様は八百万の神様であり、聖書の神様は唯一神だということが言われ、それは決定的な違いだと一般的には考えられているようです。あなたはどう思いますか。実はこのことに新しい光が投げかけられています。坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。
八百万の神と唯一の神
これこそ日本人とユダヤ人の大きな違いを示す事実。しかし、その後色々と調べているうちに、八百万の神と唯一神というのは、表現こそ違うけれども、その意味するところは実は同じだ、ということが分かった。それに気づいたのはユダヤ教の礼拝に出ていた時のことである。その中である時、「神はどこにでもいらっしゃる。あなた方が祈るこの会堂にも、あなたの傍らにも、家にも、自然の中にも、どこにでも臨在しておられるのが私たちの神様である」と言われたのである。
つまり神は唯一であるけれども、どこにでもいらっしゃるということなのだ。これは神道における「八百万の神」の考え方と同じではないだろうか。つまり、ヤオヨロズ(八百万)の神というのは数としての八百万人の神様がいるということではなく、神様はどこにでもいらっしゃる、ということを意味するのだ。
このことを強く主張しているのは、元駐日イスラエル大使、エリ・コーヘン氏である。コーヘン氏はその著書『驚くほど似ている日本人とユダヤ人』の中で、「タナフ(旧約聖書)」の中の言葉、「神の栄光は全地に満つ」を取り上げて、ユダヤ教の神が全地に臨在する神であるのに対し、日本の八百万の神もどこにでもいらっしゃる偏在の神である、と主張する。
コーヘン氏の主張によるとユダヤ教と神道はそれぞれの聖典の最初の部分、つまり神話と呼ばれる部分が非常に似ている、というのである。例えばユダヤの「タナフ(旧約聖書)」の創世記の部分では、「アダム」と「エバ」という二人の人物からすべての人類が生まれた、と記している。それに対し、日本の『古事記』には、「イザナギ」と「イザナミ」という二人の神が現れ、彼らから万物が発生したと書かれている。(本からの引用は以上です。)
いかがでしょうか
私はこの説明に違和感を感じません。むしろ、その通りだと感じますが、いかがでしょうか。神社に行くと、それぞれの祭神の由緒が記されていますが、私たちは何が祀られているかにはそれほどこだわらずに、「神様」に祈るのではないでしょうか。それが私の感じ方ですが、皆さんはいかがでしょうか。
全人類の神様
ここでコーヘン氏は「ユダヤ教の神」と言っていますが、全地に臨在する神様は決して何か特定の宗教の神様ではなく、全人類の神様だと私は思っています。その神様をユダヤ人はユダヤ教の神様と言うかもしれません。日本人は八百万の神様と言うかもしれません。でも、同じ神様だと私は思います。それでは今日も聖書の続きを読んで、「神様」に思いを向けましょう。
新約聖書 ルカの福音書23章26~31節
彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。
しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ』と言う日が来るのですから。
そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ』と言い始めます。彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」
十字架に向かう途上の出来事
不正な裁判によって、ローマ総督であるピラトはイエスをユダヤ人の体制側の人々に引き渡しました。ここには彼らがイエスを十字架につけるために引いて行く、その途中であった出来事が記されています。
この世界の不条理
一部の人々の扇動によってイエスは十字架につけられることになってしまいましたが、イエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れがあったことも分かります。正しい者が十字架につけられて処刑される。そのような不条理なことがこの世界にはあることは事実だと思います。いつになったら正義は行われるのでしょうか。胸が裂かれるような現実ではないかと思います。
しかし「神の国」が来る
でも、神様の正義が全てを支配する神の国は近づいているとイエスは教えました。それはすぐに実現する訳ではないのかもしれません。しかし、他人はどうであれ、自分は神様を中心として生きることはできると思います。でも、まだ、苦しみを通らなければいけないのかもしれません。イエスは「むしろ自分自身と、子どもたちのために泣きなさい」と言われました。
神様を中心に世界の歴史を見る
しばらくは体制側の不正な支配が続くことを言われたのでしょうか。それとも、A.D.70のエルサレム陥落のことを言われたのでしょうか。それは分かりませんが、しかし、その背後に神様の計画があって、全ては神様の支配のもとで起こっていることを思います。「神の国」の実現に向けて全ての歴史は動いているということが、神様を中心に見るならば見えて来るのではないでしょうか。