目的は大切ですよね。人生の目的は?

人は何のために生きるのでしょうか

何事も目的が大切ですね。目的もなく、当てもなく、ただ毎日を生きるとすれば、その人生はいったいどこに向かっているのでしょうか。日々生きることそのものが目的だと言う人もいますが、目的とはそういうものではないことは明らかだと思います。皆さんはすでに人は何のために生きるのだろうかと考えていらっしゃるんだと思います。生きる目的を宗教に求めたり、教会に通っている方もいらっしゃると思います。

生きる目的ってあるのでしょうか

私も20歳頃に、人は何のために生きるのだろうと考えるようになりました。文学者の中にその答えを見出している人がいるのではないかと文学を読み耽りましたが、誰も見つけてはいませんでした。多くの日本人の文学者は生きる目的が分からずに自ら命を絶っていることも知りました。生きる目的ってあるんだろうかと思い始めていました。

進化論は正しいのでしょうか

進化論が人生の目的を奪い取っているように思います。それは生命が偶然に発生して進化したと主張していますが、人生に目的はないと主張しているようなものだと思います。しかし、生命は決して偶然に発生するようなものではないと思いますし、人間は他の動物の進化の延長線上に出現するとは、とても私には考えられません。

人間だけが神様を崇めます

人間は初めから人間であり、他の動物とは決定的に違うと思います。どんなに優れた知性を持っていると言われる動物であっても神様を崇めたりしませんが、人間は神様を崇めます。人間だけが「神様のかたち」を与えられているからだと思います。この点において、人間は他の動物とは決定的に違い、特別な存在であり、進化では説明できないと思います。

ジャンボジェット機は偶然の産物でしょうか

生命が生命たる所以は、その遺伝子にあると言えると思いますが、遺伝子の配列が偶然に出来上がる可能性は極めてゼロに等しいと言われています。つまり、生命は偶然には発生しないということですね。それは金属片が嵐に巻き上げられたら、偶然にジャンボジェット機が出来上がる可能性だと表現した人がいます。何回くらい嵐に巻き上げられたらジャンボジェット機が出来上がるでしょうか。

ましてや人間は偶然の産物ではあり得ません

ジャンボジェット機は嵐によって生み出されたのではなく、設計者がいて、その設計に基づいて各部品が正確に作られて、組み合わされて、初めて完成します。そして、ここが大事です。設計者にはジャンボジェット機を作った明確な目的があるということです。アメーバ一つであったとしても、その遺伝子の構造は極めて精巧に出来ています。人間の精巧さはジャンボジェット機より遥かに勝るでしょう。

設計者には明確な目的があるのです

それは偶然でも、無目的でもありません。人間の設計者は明確な目的を持って人間を造ったと考えるのがごく自然な考え方だと私は思います。私たち人間は驚くほど精巧に造られた存在です。医師はそれを良く知っていると言われます。その精巧さを見るならば、それが偶然であるとか、無目的であると言う事がいかにあり得ないことか理解できるのではないでしょか。自分のためだけでなく、設計者、創造者である神様のためにも自分を大切にしましょう。

それでは今日も聖書の続きを読んで、宇宙の設計者であり、私たち人間の創造者である神様に思いを向けましょう。

新約聖書 ルカの福音書21章25~28節

そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」

イエスが言った通りエルサレムは陥落しました

エルサレムは滅ぼされ、ユダヤ人は国を追われ、異邦人の時が終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされるとイエスは弟子たちに語られました。それはA.D.70年に起こりました。そして、今もエルサレム神殿のあった場所はユダヤ人ではない人々によって統治されています。このイエスの言葉は今も続いていると考えられます。

イエスが栄光の姿で天から来る

そして、天体に異変が起こり、海と波がどよめく。人々は恐ろしさのあまり気を失う。世の終わりにそのようなことが起こるということをイエスは言われたのではないでしょうか。その時、人の子、つまりイエスが力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る。それは誰の目にも神様だと分かる姿で天から現れるということを言っているのではないでしょうか。

世の終わりとは「贖い」の時

ところが、それは世の終わりではなく、贖いだとイエスは言われました。「贖い」とは買い戻すという意味ですが、神様が私たちを神様の元に買い戻してくださる、神様のものとなる、つまり、救われるということだと思います。世の終わりとは、絶望ではなく、神様の国が始まるということだとイエスは弟子たちに教えたのではないでしょうか。

これが人生の目的ですね

神様に思いを向けましょう。神様を中心とした生活をしましょう。いつも神様を忘れないように、毎日時間を決めて祈り、聖書を読みましょう。神様の国を心から待ち望みましょう。それは何かの宗教を信仰することではありません。クリスチャンになることでもありません。日本人が太古の昔から大切にして来た信仰に他なりません。究極的には、これが人生の目的だと私は思います。