祈りと聖書の習慣がもたらすコペルニクス的転回

祈りと聖書の習慣が人生を変える

神様は確かにおられるという確信。罪が赦されているという確信。天国の確信。その他、日々の平安、あらゆる問題の解決、神様の導きなど、これらの確信が私の生き方に大きな影響を与えましたが、それは毎日の祈りと聖書の習慣によって得られたと思っています。皆様の祈りと聖書の時間はいかがでしょうか。継続は必ず力になると思います。

最も大きな成果は神様の視点を持てるようになったこと

今日は、神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことによって、私の中にどのような変化が起こったのか、少し書いてみたいと思います。どうぞ参考にしてみてください。最も大きな変化は神様の視点から自分と世界を見ることができるようになったということだと思います。以前は何事も自分の思いを中心に考えていました。本を読んだり、人の話を聞いたり、何をするにしても、自分の思いが中心。自己実現という言葉がありますが、まさにそんな感じ。自分の思いを実現できれば、それで幸せになれるんだと思って何事もやっていました。

自分の思いではなく、神様の思いを通して世界を見る

神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことによって分かったことは、あれ?そういうことじゃないなあ。物の見方の中心を自分の思いから神様の思いにシフトすると、あら不思議。問題だと私が思っていたことは、そういうことだったのかと見え方が変わってきました。自分の思いを中心に、自分とは何か、人間とは何か、生きるとは何か、世界とは何か、そう考えていた時には見えなかったことが、神様の思いを中心に見方を変えた時に、そうか!世界は神様の思いを中心に回っているんだ。私は神様の思いによって作られたんだ。存在の意義も目的も自分で考えるのではなく、神様の思いの中にあるんだ。全ては神様の思いによって始まったんだ。それが分かった時に、自分とは何か、人間とは何か、生きるとは何か、世界は何なのか、霧が晴れるように見えて来ました。

視点か変わると、見え方はこうも変わるのか

それは、宇宙は地球を中心に動いていると見ていた時には、その動きは大変複雑で説明困難で、訳が分からなかったものが、地球が動いていると見れば、急に分かるというのに似ていると思います。宇宙は以前も今も何も変わっていませんが、視点が変わると全く違う見え方になる。まさにコペルニクス的転回ですね。神様が分かるというのは、神様についての知識を持つということではなく、このように視点の転換だと思います。神様に心を向けて祈り、聖書を読むうちに、その転換が私に起こったんだと思います。皆さんはもうそれを体験されましたでしょうか。すでに体験されていらっしゃる方は、私の言っていることを、そうだ、その通りだ。自分と同じ体験だと共感してくださると思いますし、まだそれを体験されていない方は、どうぞそのような視点の転換を求めて祈りと聖書の時間をお続けいただきたいと思います。そのことが私に分かったように、必ず皆さんにも分かる時が来ると思います。

この視点の転換は祈りと聖書の最大の成果だと思います

この視点の転換が起こったことが、祈りと聖書の習慣がもたらした最大の意義だと私は思っています。なぜなら、この視点の転換こそが、すべての問題の解決だと今は分かるからです。一つだけ例をあげれば、以前は自分の思いや計画が成し遂げられることが私の喜びになるんだと思って、何事にも取り組んでいましたが、現実はなかなか自分の思い通りにならないことが多いですし、自分の思い通りに事が進んだところで、あれ?こんなはずじゃなかったということも多かったように思います。でも、世界は私を中心にして回っている訳ではない。神様を中心にして世界は回っている。にもかかわらず、私が無理やり自分を中心に回そうとしているから、思い通りになかなかならないし、ストレスがたまります。神様の思いを中心にして、私がその周りを回ればいいんだということに気づいた時に、そのようなストレスから解放されました。そして、結果にもいつも満足しています。こんな喜びと平安は以前には持てなかったと思います。中心を自分の思いから神様の思いにシフトしたからだと思います。

神様の思いを中心にする生き方

結局、すべての問題は何を中心にしているかということが原因になっていると思います。中心がずれていたら、こまは回らないと思います。それはこまの回し方が悪いのではなく、中心が間違っていたのです。神様の思いを中心にしたら、あら不思議。私の人生はスムーズに回るようになりました。それが私の実感です。それは私がクリスチャンになったからではありません。何かの宗教をやったからではありません。中心を変えたからです。そして、実はこれは本来の日本人の生き方です。日本人は太古の昔から神様の思いを中心にして生活してきたんだと思います。私はそのことをお伝えしたいのです。そして、日本のすべての人に神様の思いを中心にして生活するという、日本人本来の生き方をしていただきたいのです。それが日本人の喜びです。そして、世界中の人々が、そのような日本人の生き方を見て、これは日本人だけではない。これこそ本来の人間の生き方なんだということを知っていただきたいと思っています。これが人の喜びです。

祈りと聖書の生活を習慣にする

どうぞ祈りと聖書の生活を続けてください。ご質問、感想、お待ちしております。