「世界的に考え、地域的に行動せよ。」
これは大切な教訓が含まれている言葉だと思います。いつもこのことを心に留めて行動するにはどうしたら良いでしょうか。それは毎日10分からでも良いので、神様に心を向け、聖書を開き、神様の視点から今の自分を振り返る。永遠という視点から今の生活を考えてみる。これを毎日の日課にすれば、誰もが永遠の視点を持って、今の生活を生きることができるようになると思います。
目の前の出来事をこなすだけでなく
今、実際に取り組んでいる目の前の出来事は、永遠という視点から見た場合にどういう意味を持つものなのか。そういう視点を失って、ただ目の前の出来事をこなすだけになってしまって、木を見て森を見ないということにならないようにしなければなりません。一生懸命に努力した結果、まったく方向違いの努力だった。誰だってそんなふうにはなりたくないと思います。
重要な事は後回しになる危険性があります
しかし、私たちの目の前には、いつもやるべきこと、やらなければいけない仕事があり、それは終わることがありません。何のために生きるのか。何を成し遂げたら、私の人生はこれで良いと言うことができるのか。それは私たちの人生にとって大変重要な問題ですが、すぐに答えが出ないことに加え、いつまでに答えを出すという期限がありません。でも、目の前の仕事は、いつも今日中とか、今週中とか、期限があって、そうやって重要な問題は取り上げられないまま、どんどん後回しになってしまいがちです。
目の前の仕事も永遠も
そういう重大な問題は、退職して人生の大半を終えてから、ゆっくり考えるのでしょうか。その時になって、私の人生の方向は間違っていたと気づいたとしたら、大変残念なことになるのではないでしょうか。でも、目の前のやるべき仕事もやらなければならないのです。私たちは日常のやるべき生活をしつつ、永遠にも目を向けること、神様にも心を向けること。定年になってからではなく、今、毎日の生活の中でそういう時間を持つことが求められているのです。毎日10分から、神様に心を向けて祈り、聖書を読む。それを習慣にすることによって、本当に悔いのない、充実した人生を送ることができるようになると思います。
こんな愚かな木こりにならないようにしましょう
皆さんもこんなたとえ話を聞いたことがあるのではないでしょうか。ある木こりが忙しく木を切っていました。なかなか切れないので随分苦労しているようでした。ちょうどそこを通りかかった人がふと見てみると、木こりが手にしているのこぎりの歯が大変傷んでいるようでした。そこで木こりに声をかけました。「のこぎりの歯が傷んでいるようです。目立てをした方が良いと思いますよ。」すると木こりはこう答えたそうです。「このたくさんある木が目に入らないのか。これを全部切らなくちゃいけないんだ。目立てなんかしている暇はないんだよ。」
本当に大事なことのためにも時間を使っていますか
まあ、こんな調子では、木を切ること自体が本当に正しいことなのかどうかも怪しいものです。たとえ切らなければならなかったとしても、これでは随分と効率の悪い、ストレスの多い仕事の仕方をしているものだと思います。計画に使う1分は実際の業務を1時間節約することができるという言葉も聞いたことがあります。マルチン・ルターという人は「私は今あまりに忙しいので、1日2時間は祈らなければならない」と言ったそうです。忙しさは私たちを本当に大切なことから目を背けさせてしまう危険性を持っているんだと思います。
毎日、必ず神様との時間を持つ
毎日、一人静まって神様に心を向けて祈り、聖書を読む時間を持つ。いかがでしょうか。それは何かの宗教をやることではありません。もし、ただ忙しく毎日を送るだけで、神様との時間を持たなかったら、私自身、今の自分はなかったと思います。でも、山にこもって、永遠について考えを深めるのではありません。現実の生活の中で、神様に心を向ける時間を持つ。そして、現実の生活を生きる。このように信仰は現実の生活の中で発揮する。これが日本人の信仰だと私は思っています。日本の全ての人に私はこのことを伝えたいと思っています。皆様からの感想、聖書についての質問もお待ちしています。