もっと永遠に目を向けよう

いつの間に日本人は今の目の前の生活が全てというようになってしまったのでしょうか。随分と日本人は目に見える世界がすべて、科学で解明できることがすべてというようになってしまったように思います。しかし、日本人は目に見えない世界、物質だけではない精神的な世界、この世界だけではない永遠の世界を大切にしてきたのではないでしょうか。

今も日本人の心の中にはそのような意識が完全に無くなった訳ではないと思います。理性では、科学で説明できないことは受け入れないと言いながら、心のどこかで神様の存在を感じているし、精神的な世界を完全に否定することはできないでいると思います。私はかつてのように、日本人が大切にしてきた精神性をもっと取り戻すことによって、物質だけではない、本当に豊かな人生を取り戻して欲しいと願って、「日本人の信仰と聖書について考える会」を始めました。

科学で説明できることがすべてではありません。むしろ豊かな精神性というものは科学的に説明できるようなものではないと思います。また、今の地上の命がすべてではありません。この命を超えた永遠の命の世界があります。だからこそ、日本人はこの命を失っても守るべき尊厳や美徳があると考えてきました。それが日本人の精神性を豊かにしてきたと思います。今の生活がすべて、今の損得がすべて、この世がすべて、これでは豊かな精神性は望めないのではないでしょうか。

パウロもこのように書いています。「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」

パウロがこの手紙を書いたのは今から2千年前のことですが、その当時すでに、人々はこの世がすべてで、欲望だけで生きていたのでしょう。でも私たちは違うとパウロは言いたかったのでしょう。私たちの国籍は天にあると言っています。皆さんの希望はどこにあるでしょうか。この世界がすべてとなっていませんでしょうか。もっともっと天に目を向けて、永遠の価値観をもって、もっと豊かな人生を生きてみませんか。