【恋愛・結婚】「結婚=幸せ」なのか

独身は不幸なのか

結婚しないで、独身で生きることはあまり幸せな人生ではないのでしょうか。ソロ男プロジェクト・リーダー/独身研究家という面白い肩書を持つ荒川和久さんという方の「40代独身者が『幸せになれない』根本原因・結婚が『幸せ』を運んでくるわけではないのに」という記事を一部ご紹介いたします。

確かに既婚者の8割が幸福だと答えている

未婚と既婚、男女年代別に調べたところ、確かに既婚者のほうが男女ともに幸福度が明らかに高いものになりました。未婚者の場合は、男女ともになぜか40代が最低。特に、40代未婚男性は幸福と感じる率がたったの36%しかないだけではなく、不幸と感じる率(28%)が最大値を記録しています。40代までずっと未婚だった男女は、結婚できないゆえに不幸感が最大化するということなんでしょうか。

強い結婚規範

未婚者の幸福度が低い要因として考えられるのは、日本人に特に根強い「結婚規範」にあると考えられます。結婚規範とは、「結婚は必ずすべきだ」「結婚はしたほうがよい」という考え方です。こうした強い結婚規範は、ともすれば未婚者に対して「結婚できない自分は何かが足りないのだ」という「欠落感」を植え付けてしまうことになります。欠落感を感じると、人は不幸だと感じやすくなります。

結婚すれば幸福なのか

幸せの形はさまざまです。結婚して、子どもを産み育て、あたたかい家庭のだんらんに安らぎを感じるのもひとつの幸せの形でしょう。しかし、それだけが幸せになれる唯一の道筋ではありません。自分の愛する人、自分を愛してくれる人とともに時間を過ごすことも幸せの形ならば、恋人や家族でなくても、興味関心や価値観の合う人、または「考え方を同じくする人」との交流でも十分幸せは感じられます。さらには、人であるとも限りません。趣味であれ、仕事であれ、「好きなことに時間を忘れて没頭できること」もまた幸せの形でしょう。(記事からの抜粋引用は以上です。)

神様の思いを中心にすること

確かに、結婚すれば、子供がいれば、家があれば、車があれば、お金があれば、良い大学を出れば、良い会社に入れば幸福ということではないと思います。これら全てに恵まれていても幸福を感じないという人もいるかもしれません。もちろん、目標に向かって努力し、状況を変えることも大切ですが、幸福は状況によるものではないように思います。全てが自分の思い通りになる訳ではありませんが、神様の思い通りにはなると受け止めて、現状に満ち足りることを知ることは幸福の大切な条件ではないかと私は思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は私たち日本人の生き方の原点でもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして満ち足りた人生を生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 2章13~17節

イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

教えの内容は記されていない

ここでもイエスが多くの人々に教えたとありますが、その教えの内容は記されていません。繰り返しますが、それは自己中心を退けて、神様の思いを中心にして生きるようにという教えであって、敢えて記録するほどの内容ではなかったからではないかと私は考えています。

取税人や罪人たちと食事をするイエス

取税人とはユダヤ人から税金を集めて、ローマに収めるユダヤ人です。それゆえに他のユダヤ人からは嫌われていました。イエスはそのような人々や犯罪人たちを集めて食事をしていたと記されています。そういう人たちが集まりやすいように、イエスはあえて立派な学者ではなく、漁師や取税人を弟子としたのかもしれません。

自分は正しい者ではないと認められるか

律法学者たちは当惑して、また非難する思いもあったのでしょう。しかし、イエスは「罪人を招くために来た」と言いました。立派な学者や宗教家であっても、自己中心を退けて、神様の思いを中心にして生きることが救いであることに変わりはないと思います。しかし、そのためには遜る必要があると思います。自分は正しい者ではないという自覚がなければ、自己中心を退けることは難しいのだろうと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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