誇り高き日本人

日本人の誇り

人から見下げられることを好まないのは何も日本人だけではないかもしれませんが、特に日本人は(私を含めて)敏感で、プライドが高いなあと感じることがあります。皆様はどう思いますか。私は、この自尊心の根底には、「私たちは神様の民である」という自覚があったからではないかと思っていますが、いかがでしょうか。そのことが分かると、自分を正しく理解し、また他人に対してもどのように接すれば良いのかヒントを得ることができるのではないかと思います。

毎晩、ウォーキングをしています

私は毎晩、健康のために家内と1時間くらいウォーキングをしています。暗い中を歩いていると、私たちが横断歩道を渡ろうとしているのが目に入らないのか、交差点を左折して来る車が止まらずに来ることがあるのでヒヤッとすることが度々あります。実際、そのような事故のニュースも良く聞きますので、左折して来る車がある時は、「行け、行け」と手で合図して、車を先に行かせてから渡るようにしています。

わざわざ大回りする車

昨晩もそういうことが何度かありました。ところが、ある車は私が手で合図しているにも関わらず、スピードを落として私たちを先に渡らせようとします。まあ、本当はそうですよね。歩行者が優先ですね。でも、本当に気づいているのかどうか分からないこともありますので、私たちは横断歩道の手前で止まって、あくまでも先に行くように手で合図をすると、明らかに私たちから距離を取って、わざわざ大回りをして走って行きました。

指示されるのは面白くない

私も車を運転していて経験がありますが、歩行者に「行け、行け」と指示されると、何となく「なんであなたに指示されなくちゃいけないの」と感じることがあります。車どうしでも、道を譲ってもらっているんだけど、「行け、行け」と指示されると、何となく面白くないという感じ、皆さんはありませんでしょうか。

誇り高き日本人

ずいぶん古い話になりますが、1549年にローマ・カトリック教会の宣教師として日本に来たフランシスコ・ザビエルという人がローマ本部に書き送った報告書の中に次のような内容が見られます。「まず第1にいうべきことは、 この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。日本人は概して貧しい が、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意をあらわされていることである。また武士が如何にまずしくとも、また如何に財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚 しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。即ち金銀よりも 名誉を尊重しているのである。‥‥彼らは侮辱や嘲笑に堪え忍ぶことは出来ない」

異邦人のような罪人ではありません

このような日本人の自尊心は「神様の民」という自覚から来ていたのではないかと私は思っています。旧約時代のユダヤ人もそのような選民意識を持っていたでしょう。また、人となった神様の十字架と復活によって、どんな民族でも罪が赦され、神様の民となるということを受け入れている新約時代のパウロという人も、小アジアのガラテヤという地域にいる人々に宛てた手紙の中でこのように書いています。「私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。」

神様の民としての高い自尊心と品格

この文章を見ると、パウロという人もユダヤ人としての誇りを持っていたことが分かります。文明と呼べるものがまだなかったような時代に、神様の視点を持ち、聖書に基づいた高い文明を持ったユダヤ人の末裔である秦氏が日本に渡って来て、神様の民として高い自尊心と品格を持って日本の文明を築きました。その誇りが今も日本人の中に引き継がれていると考えることができるのではないでしょうか。

高慢と自尊心の違い

そのような日本人の高い自尊心を尊重すること。決してないがしろにしないこと。それは日本人として、人間関係を円滑に進める上でとても重要なことではないかと私は思います。それと同時に、それは決して単なる日本民族だけが優れているという民族主義や選民意識ではありません。それでは高ぶりであり、高慢になってしまうと思います。健全な自尊心とは神様の視点を持つ者としての自尊心であり、誇りと品格、そして責任を伴うものだと思います。

世界的な紛争解決の鍵はこの信仰にあると思います

本来、すべての民族は神様の民なのです。神様の視点から見れば、それは明らかだと思います。これが太古の昔から日本人が大切にしてきた信仰です。それは何か特定の宗教ではありません。宗教は自らの正当性を主張する傾向があるので、対立を生み出してしまいますが、この日本人の信仰は世界の宗教的な対立、民族的な対立の解決の鍵になると私は思っています。今こそ、神様の視点を取り戻し、私たちは神様の民であるという自覚を持って生活しましょう。そして、神様の民らしく、誇り高い生き方を全世界に示しましょう。やがて全世界が神様の民であることを自覚することができるように。それが健全な自尊心だと私は思います。