日本人の精神性のルーツ

日本文化の際立ったところ

インターネットで検索すると、「外国人が驚いた日本の日常」という様なサイトが結構あります。共通して言われていることは、「犯罪率が低い」、「お財布を置いたままトイレに行く」、「お財布を落としても戻って来る」、「礼儀正しい」、「時刻表通りに電車が来る」などの内容が目に入ってきます。それに加えて、清潔もまた日本の特徴でしょうか。ちょっと潔癖症ぎみで、行き過ぎと感じることもあるかもしれませんが、際立っていることは確かだと思います。

日本人の本質を取り戻す

顔かたちは似ていても、これはアジア全体と言うより、やはり日本に見られる特徴なんだろうと思います。このような日本人の特質はどこから来ているのでしょうか。歴史を調べてみると、神様の視点を持った人たちの影響を大きく受けていたのではないかということを思わされます。日本文化の表面に表れた特質だけでなく、この日本人の本質を自覚的に取り戻すことによって、日本は本当に世界のリーダーとして貢献できるようになるのではないでしょうか。

それは人間本来の生き方

民族主義ということではありません。神様を中心にして生きるという人間本来の生き方が太古の昔に日本に伝えられ、日本文化の中で受け継がれて来たということであり、それを押しつけではなく、全世界に示すことが大切ではないかと私は思います。そのためには、まず日本人自身が神様を中心にして生きるという本質を取り戻さなければなりません。どうぞ毎日神様に思いを向けて祈り、聖書を読み、神様の思いを中心にした生活を志してください。

今日も少し聖書を読んでみましょう

さて、昨日に引き続いて、新約聖書としてまとめられた一連の古文書の中にあるルカの福音書と呼ばれる書の7章18~23節にこのようなエピソードが記されていますので引用して、私の感じたことを書いてみたいと思います。どうぞ参考になさってください。「さて、ヨハネの弟子たちは、これらのことをすべてヨハネに報告した。すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか』と言わせた。ふたりはみもとに来て言った。『バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしょうか」とヨハネが申しております。』 ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。そして、答えてこう言われた。『あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。だれでもわたしにつまづかない者は幸いです。』」

人となった神様が来られるという言い伝え

ヨハネとは、当時、神様からの預言者として著しい働きをした人物で、このヨハネが旧約の時代から預言されていた救い主、人として来られる神様ではないかと噂された人でした。しかし、ヨハネ自身、私はそれではない、私はその方の道を備える役割をする者であり、私の後に来る方こそ預言された救い主、人として来られる神様だと言ったのです。そのヨハネは、当時のユダヤの国主であったヘロデの罪を糾弾したために投獄されており、獄中でイエスという人物の噂を聞いて、ふたりの弟子をイエスのもとに送ったというのが、このエピソードです。

この事実をどう受け止めますか

「おいでになるはずの方は、あなたですか」という質問に対して、イエスは「そのとおりです。」と直接答えないで、「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」と言ったと記されています。人間の考えを中心に物事を見るのか、それとも神様の視点で物事を見るのか。それは自分で判断するようにと求められたのかもしれませんね。

神様の視点を持つ者の幸い

最後にイエスは「だれでもわたしにつまづかない者は幸いです。」と締めくくったと記されています。これらの著しい奇跡はイエスが人となった神様であるという視点から見なければとても説明がつかないと思います。そのように受け止める者、つまりイエスにつまづかない者は幸いだということを言っているのだと思います。どうぞ皆様も人間が全てという考えから解放されて、神様の視点を受け入れて幸いな人生を歩んでいただきたいと思います。

神様の視点で生きることこそ日本人の精神性のルーツです

実は、このイエスを人となった神様として受け入れた人々の末裔が秦氏と名乗って、3世紀頃には日本に渡って来たことが分かっています。そして、秦氏は日本の文化、伝統に大きな影響を与えました。いわゆる日本らしさというものは秦氏によって形作られたと言って良いようです。安全、勤勉、清潔、相手への配慮、日本人の精神性など、いわゆる日本人らしさはこのようにイエスを人となった神様として受け入れた人々によって形成されていったのでしょう。イエスを人となった神様として受け入れ、神様の視点で物事を見るところに日本人の心の本質があることを知っていただきたいと願っています。