文化の違いは良し悪しではないですよね
これからは「おはようございます」ではいけません。「Good morning」と言いましょう。それが正しい言い方です。なんて言ったらおかしいですよね。どちらも朝の挨拶であり、良し悪しの問題ではありません。それは言語の違いであり、文化の違いです。このことが正しく識別されると、いろいろな混乱が解決すると思います。
何が文化で、何は文化ではないのか
神様に心を向けることは文化ではありません。人間であれば、いつの時代であっても、どこに住んでいようとも、そこには何の違いもありません。でも、どのような形で神様に心を向けるのかということになれば、同じ天地をお造りになった唯一の神様に心を向けていても、時代や、お国柄によって違いがあるのは当然だと思います。
西欧キリスト教も一つの文化です
西欧キリスト教の側から言えば、西欧キリスト教は文化ではないという主張もあるのかもしれませんが、明らかに西欧キリスト教もまた一つの文化だと思います。神様に心を向ける方法として、そういうやり方もあるということだと思います。
日本に西欧キリスト教を広めようとする働き
フランシスコ・ザビエル以来、日本に西欧キリスト教を広めようという働きがなされていますが、なかなか日本には根付かないようです。しかし、それはあくまでも西欧キリスト教が日本に根付かないということであって、神様に対する信仰が根付かないということではありません。
日本人は日本人のやり方で神様に心を向けます
日本人は太古の昔から、日本人のやり方で、天地をお造りになられた神様に心を向けて生きてきました。それは西欧キリスト教のやり方とは違うかもしれませんが、それはどちらが正しいのかという問題ではないということです。もちろん、西欧キリスト教がいけないということでもありません。それが好きな人は日本人でも西欧キリスト教のやり方で神様に心を向けても良いと思います。しかし、ポイントはやり方ではなく、神様に心を向けて生きることです。西欧人には西欧人のやり方があって良いと思います。また、日本人には日本人のやり方があっても良いと思います。それは当たり前のことだと思います。このことが正しく識別されると、いろいろな混乱が解決すると思います。
大切なことは神様に心を向け、聖書を読むこと
「日本人の信仰と聖書について考える会」においては、キリスト教に改宗するかどうかは大切なことだとは考えていません。また、キリスト教徒になるかどうかも大切なことだとは考えていません。むしろ、日本人は日本人としての文化を大切にしながら、神様に心を向け、聖書を読んでいただきたいと思っています。