神様の願いは良心で判断できると思います
自分の願いではなく、神様が願っている生活をすること。それが悔いのない人生を送る秘訣だと思います。では、神様が自分にどのような生活を願っておられるのか、どのようにして知ることができるのでしょうか。「日本人の信仰と聖書について考える会」では、毎日神様に心を向けて祈り、聖書を少しずつ読むことをお勧めしておりますが、一言で言うならば、自分の良心で正しいと確信するところに従って生きることだと思います。
良心は知っている
私たちは皆、神様から良心を与えられていますので、悪いことをしながら悔いのない人生を送ることはできないと思います。やっぱり良心は知っていると思います。そういう人は神様の裁きを恐れながら生きなければならないと思います。死んで終わりではないのです。みんな良心で分かっていると思います。でも、完全な人はいません。むしろ人間は正しく生きたいという神様からの願いを持っているのですが、生まれながらに罪の性質を持っているので、正しく生きることができない存在でもあります。だから悪いことだと知っていながら、してしまいます。私たちは皆そういう者だと思います。
神様の犠牲による赦し
でも、安心してください。だから神様が人となって、この世界に来て下さり、私たちの身代わりに十字架について罰を受けてくださったのです。この神様の犠牲によって、私たちは赦しをいただいているのです。これは人間の作り話ではなく、本当に神様がそのように介入してくださったという証拠に、この人となった神様は3日目によみがえったことが多くの証人によって確認されています。
言い訳しないで、ただ方向を変えれば良いのです
だから、私たちは今、これくらいのことは誰でもしているとか、自分よりもっと悪い奴はいるとか、そういう言い訳をしないで、自分の良心で判断して確かにそれは悪いことであるならば、良心を誤魔化さないで正直に認めて、「神様、ごめんなさい。」と言って、全てをご破算にして赦しを確信して、これから神様が願っておられる正しい生活を始めればそれで良いのです。たとえこれまでの生活がどうであったとしても、これから先、また失敗することがあったとしても大丈夫です。そのように生きることを神様は喜んでくださると思います。そして、神様に喜んでいただいているという確信こそが悔いのない人生の秘訣だと私は思います。
神様は一人ひとりの良心に働いてくださいます
同じ人間ですから、それは人によって極端に違うということもないでしょうが、厳密には一人ひとりの良心の問題であり、違う確信が与えられることもあると思います。ですから、それは1つの教えにまとめられるものではないと思います。何が正しいことであるのか、何が神様の願っておられることなのか。他の人の意見も参考にはなると思いますが、最終的には自分の良心によって、確信するところに従うことが大切だと思います。
聖書は大変参考になります
神様は私たちにどのような生き方を望んでおられるのか。神様の目から見た時に、何が正しいことなのか。私たちはそれぞれ自分の良心で判断しますが、そのために聖書は大変参考になります。どうぞ毎日少しずつ聖書をお読みください。そして、神様に心を向けて、自分の良心で判断してください。これは私たち日本人にとって決して新しい考え方ではありません。日本の歴史を調べてみると、このような信仰こそ日本人の信仰の土台であったことが分かります。
今こそ伝えたい「日本人の心」
どうぞ新年の初詣の時だけでなく、神棚、仏壇に手を合わせる時だけでなく、常に神様の願いに心を向けて歩んでいただきたいと思います。あなたがどこにいても、神様はあなたと共におられ、あなたの良心に働きかけ、何が正しいことであるか確信を与えて導いてくださると思います。いつも神様に心を向け、これは神様が願われることだろうか、嫌われることだろうか。そのように神様の声なき声に耳を傾けつつ豊かな人生を歩んでいただきたいと思います。これこそ私たちがお伝えしたい日本人の心。この日本人の心をすべての日本人のものとしていただきたいと願っております。