幸せな結婚の継続のために男と女の違いを理解する

誤解は少ない方が良いでしょう

土曜日のテーマは「神様を中心とした恋愛、結婚」です。幸せな結婚のためには神様を中心とすることが大切です。お互いに神様を中心とした人生を歩むにあたって、この結婚は有益であると判断するなら結婚すべきだと思います。そうやって始めた結婚生活であっても、困難がない訳ではないと思います。愛は意志であって、単なる感情ではないとは言え、より良い関係を築いていくために、お互いの違いを理解することは助けになるのではないかと思います。

一般的に男性と女性には違いがあるようです

神様はそれぞれの役割を良く果たすことができるように、男性と女性には違う特性を与えているように思います。それゆえに男性にとって当たり前のことが、必ずしも女性にとって当たり前ではないということがありますし、その逆もあるように思います。お互いにそれを受け入れるには愛が求められると思いますが、そうやって私たちは成長し、成熟して行くことができるのではないでしょうか。

妻を愛し、夫を敬う

神様を中心にして生きようとしたパウロという人が夫婦のあり方について書いた文章が聖書の中にはありますが、参考になると思います。たとえば、「夫は妻を自分のからだのように愛しなさい。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。」と書いています。妻は夫の所有物のように考えられていた時代に、パウロは自分自身のように妻を愛しなさいと教えました。一般的に妻は夫の愛と守りを、男性が思うよりも必要としているのかもしれません。また、「妻は夫を敬いなさい」と教えています。なるほどなあ、どんなことがあっても夫は妻からの尊敬があれば、頑張れるなあと思います。一般的に女性が思うよりも男性は妻からの尊敬を必要としているのではないでしょうか。

家庭の平和と秩序

また、「妻たちよ、自分の夫に従いなさい」とパウロは書いています。そうではない夫婦もあるかもしれませんが、一般的には妻は夫に従う中で守られ安心を得ることができるのではないでしょうか。それは最終的には夫が責任者であるという安心感であり、夫婦の意見がバラバラでは、意志決定もできないと思います。それは、妻は盲目的に夫に服従しなさいということではなく、良き助言者として、男性とはまた違う見方で夫を助けますが、最終的には夫が決断し、妻がそれに従うことによって、家庭には秩序が与えられるのではないかと思います。

それは聖書の教えというよりも参考だと私は考えています

それは神の命令だと理解する人がいても良いと思いますが、私は、それぞれが良い夫婦関係を築き上げて行く上での参考だと理解しています。それでは今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみますので、神様を中心とした生活の参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書13章22~30節

イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』 だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」

「救われる者は少ないのですか」

どうして、こういう質問があったのでしょうか。パリサイ人、律法学者、体制側の人たちとの対立が明らかになって来る中で、イエスの言うことを受け入れる人が少なかったのでしょうか。イエスは「入ろうとしても、入れなくなる人が多い」と言われました。

努力して狭い門から入りなさい

神様を中心とした生活をすれば、どんな問題も解決する。私自身そのことを体験し、このブログを始めました。少しでもそれを理解していただけるように、信じれば救われるという宗教的な話ではなく、なるべく具体的な例を取り上げて、神様を中心とする解決とは何かを書いているつもりです。それでも、それは「狭い門」かもしれません。つまり、必ずしも多くの人たちが言っていたり、マスコミで取り上げられている訳でもない。

いいですか。今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるからです

世の中の評価。人間の評価はひっくり返ってしまうということだと思います。でも、自分の良心で、何が正しいことなのか、何が神様の願いなのか。それは子供でも判断するこことができると思います。努めて神様を中心とした生活をしてください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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