命より大事なもの

今やっている事は何のためでしょうか

日曜日のテーマは「人生の目的」です。何事でも目的を明確にすることは大切なことだと思います。でも、人生の目的となると自分で考えてもなかなか簡単には答えを出すことができないので、「そのうち考えることにしよう」と後回しになり、ただ目の前の仕事をこなすだけで毎日を過ごしがちではないでしょうか。しかし、今やっている仕事は何のためにやっているのでしょうか。お金のため、生活のためでしょうか。良く考えれば、そうではないはずです。

私は世のため人のためにある

生まれて来たから生きているのでしょうか。そうではないはずです。意義と目的があるから生まれて来たんだと思います。生きるというのは仕方がないから生きるのではなく、もっと積極的な意義と目的があると思います。では、仕事をして収入を得るのは何のためなのでしょうか。その積極的な意味は何でしょうか。それはこの世界を神様を中心に営み、支えるためだと思います。つまり、私の存在は決して私のためだけではなく、愛する人のため、隣人のため、社会のためにあると思います。

自己中心は人生の目的に適わない

だから人が迷惑しても自分さえ良ければいいというのは人生の目的から外れることですし、神様の願いにも適っておらず、自分自身も幸せにはならないと思います。また、私たちは収入がなければ生活できませんが、収入のために仕事をしているのではなく、その仕事がこの社会で必要とされているからだと思います。私たちが家庭の中で、また社会の一員として、神様を中心にして、自分の役割を果たすことが人生の目的であり、幸せな人生の鍵だと思います。

私の具体的な人生の使命

本来、日本人はそのことを良く理解していたと私は思っています。ところが最近、特に戦後なのか、自分を中心に考える人が多くなっているのではないかと感じるのは私だけでしょうか。自分の権利ばかりを主張するのではなく、神様を中心にして生きるところに私たちの幸せがあることをお伝えして、少しでも多くの人が神様を中心にした生活をして、その喜びと幸せを実感し、人格的にも成熟し、これが人の生きる道だということを全世界に示すことができればと私は夢見て、そのための働きに従事することが私にとっての具体的な人生の使命だと感じて取り組んでいます。

収入を得る仕事が人生の目的とは限りません

私はこの仕事で収入を得ていませんので、教育関係の仕事に従事して収入を得て、自費でパンフレットを作成したり、ウェブサイトを運営したりしています。その仕事で収入を得ることができれば、それに越したことはありませんが、必ずしもその仕事で収入を得ているかどうかは人生の目的とは関係ないと思います。生活のための収入は必要ですが、収入のための人生ではないと思います。それでは、今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思いますので、神様を中心とした生活の参考にしてください。

新約聖書 ルカの福音書13章31~33節

ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

イエスにとっての人生の目的

パリサイ人たちはイエスのことを面白くないと思っていましたから、ガリラヤ地方の領主ヘロデがイエスを殺そうとしていると言っていますが、自分たちもそれに賛同していたことでしょう。彼らはイエスに「ほかの所へ行きなさい」と言いましたが、それは心配しているというよりも、イエスを目障りだと考えていたのではないでしょうか。しかし、イエスは全くひるむことなく、今日も、明日もやるべきことをやると言っています。これがイエスの人生の目的であり、このために人となって、この世界に来てくださったのだと思います。

命より大事なものがある

「三日目に全うされる」とはどういうことでしょうか。それは十字架につけられて死ぬことを指して言っているのかもしれません。「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです」と言っています。いずれにしても「全うされる」とは、目的が果たされるという意味だと思います。たとえ命を失うことがあったとしても、それがこの地上に命を受けた目的であるならば、それこそ本望であるということではないでしょうか。文字通り命よりも大事なものがある。それが人生の目的というものではないでしょうか。昔の日本人はそのことを良く知っていたのではないかと私は思います。今、私たちは人生の目的を取り戻さなければならないのではないでしょうか。