価値観やフィーリングの一致

チョークで書かれた絵

恋愛・結婚の相談に関するウェブサイトを見ていたら、ある回答者がこのようにアドバイスをしていました。

価値観やフィーリングの一致

このところ、結婚相手を選ぶ条件として「外見や年収よりも、価値観やフィーリングを重視する」女性が増えています。気になるのは、理にかなっているように見えて、実は「大きな足かせとなっている」人が多いこと。

価値観やフィーリングは判断基準があいまいなもので、「すごく合う」よりも「何かちがうかな……」、「ピンときた」よりも「ピンとこない……」とネガティブな判断をしがちで、「なかなか合う人がいない」と感じてしまいます。

また、逆に「すごく合う」「ピンときた」とポジティブな判断ができたとしても、それは瞬時の思い込みであることが多く、勢いに身を任せた結婚は早期離婚につながりかねません。

そもそも価値観やフィーリングは、お互いを尊重しながら会話を重ねてすり合わせていくもの。婚活中の人には、「出会ってすぐに価値観やフィーリングの判断はできない」ことを覚えておいてほしいと思います。

フィーリングより大事なこと

また、この回答者は質問者にこのように質問しています。

回答者 「『今、気に入った』ではなく『向こう数十年一緒にいて楽しい』ことを重視してほしいんですよ。相手選びの基準を3点ほど決めて、その目線から相手を見るようにしてください」

質問者 「私の基準は……やっぱりしっかり会話してくれることかな。結婚してから会話が減る夫婦って幸せではないと思いますから。それと、両親を大切にしている人がいいですね。私がそうなので、お互いの両親を大切に思い合えたらいいなって。あとは食べ物の好みが合う人なら毎日が楽しい気がします」

回答者 「その基準でいいと思いますよ。それと、あと2点確認しておきたいのは、結婚の時期と夫婦生活の内容。会話の中で、『いつごろ結婚して、どんな暮らしをしたいのか』を尋ねてみてください」

結婚の目的を共有する

その時のフィーリングより、長い結婚生活を快適に過ごすために必要なことを冷静に確認するということをアドバイスしていて、有益だと思いましたが、いかがでしょうか。さらに言うなら、結婚生活は快適に過ごすことも大事ですが、その結婚を通してどんな人生を送りたいと考えているのかということを、自分の中でもう一度問いかけてみてはいかがでしょうか。

神様を中心に考える

なぜ結婚したいのでしょうか。最終的にはどんな人生を生きたいと考えているのでしょうか。結婚が全てではないと思いますが、小さい問題でもないと思います。単に自分の思いや満足を中心にするなら、こんなはずではなかったということになってしまうかもしれません。神様の願いや思いを中心に自分の人生を考え、その中で結婚は何を意味しているのかと考えてみると良いのではないでしょうか。

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 15章36~41節

幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」

ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれているヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。

そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。

バルナバとパウロは別行動を決意した

これまでいつも行動を共にしていたバルナバとパウロが別行動を取ることになったといういきさつが書かれています。それぞれに譲れない言い分があったのだろうと思います。どちらが正しかったのか、私には分かりません。しかし、それぞれが神様を中心とした上で、それでも意見が分かれるということもあり得ることではないかと私は思います。

人は不完全だと思います

しかし、パウロが完全な訳でも、バルナバが完全な訳でもないと私は思います。人間は神様を中心に生きると心を決めていたとしても、その判断は不完全だろうと私は思います。それでも、それぞれ確信するところに従って生きる以外にはないのではないでしょうか。

神様は完全だと思います

それが神様を中心にした決断であるなら、たとえ私たちは不完全であったとしても、神様はそれを知っておられて、正しく導いてくださると私は思っています。もちろん、後になって、それは間違いだったと気づくこともあるかもしれません。それはそれで良いのではないでしょうか。そうやって神様を中心にして生きることが大切なことではないかと私は思います。

働きは色々ある

中心は神様であっても、働きは色々あると思います。パウロとバルナバにはそれぞれ別々の働きが神様から与えられていたのかもしれません。一緒に働くことも大切だと思いますが、神様の導きはそれぞれにあるのかもしれません。最後まで、ただ神様を中心にして、与えられる確信に従って進む以外にはないと私は思っています。

それが神様を中心にして生きるということではないでしょうか。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA