日本在住のアメリカ人女性ジャーナリストが投稿した「一年日本に滞在して学んだ、人生観を変える16のレッスン」というタイトルのコラムをご紹介します。
1. 日本人はいつだってお返しをする
日本に住んでいると、お返しは必ずするものであることをすぐに学ぶ。お返しの習慣は、良好な関係を築くのに重要なのだ。お返しは何も「等価」である必要はなく、例えば新しく買ったソファーを部屋まで運んでもらった際は、飲み物を奢るという恩の返し方でもいいのだ。
2. 何かしてもらった際は、次に会った時に必ずお礼を述べる
日本人は感謝の言葉を相手に伝えることを常に忘れない。やりすぎに感じるかもしれないが、本当に素晴らしい習慣である。
3. 「一般マナー」をはるかに超えた思いやりの心
丁寧な態度や相手への思いやり、洗練されたマナーは、日本の文化では非常に重要なものである。もし路上で通りすがりの人に道を訊ねれば地図を手書きしてくれたり、店の主が店を離れて正しい道を教えてくれる。そして、そこに損得勘定は存在しない。
4. 他者を自分よりも優先させる
相手をいかに大切 or 重要と考えているかを示す最良の方法である。レストランで最も快適な席を客人に勧めたり、写真撮影の際、客人に真ん中で写ってもらうなどの気配りは、日本の中では日常的に見られるものである。
5. 仲間や同僚などを除け者にしない
数人の同僚だけで飲み会を開く事などはせず、全員を誘う。日本では「自分だけ誘われなかった」と戸惑いを覚えることはない。人の輪の中に入ることで、多様な価値観を学べるのだ。
6. 他者の所有物を尊重する
「拾った者が持ち主で、落とした者は泣きを見る」 英語にはそんなことわざがあるが、日本ではそうではない。日本で歩道上に傘や他の持ち物を落としてしまった場合、落とした場所か、近くのベンチの上などで見つけることができる。他者の物を持って行くことは間違っているのだ。
7. お酒を飲んでも暴力にはつながらない
日本に酔っ払ったサラリーマンが多いことに旅行客も気づくだろうが、日本では酔うことで即暴力事件につながることはなく、喧嘩も稀である。
8. 政府によるコントロールが時に非常に上手く機能する
質の高い医療システムなどは政府によって正確に管理されており、同水準の管理は、民間企業には難しいだろうと思われる。
9. ずうずうしさは悪徳として疎まれる
日本社会では謙虚であることが高く評価される。彼らは列に並ぶ際にも不満の言葉は口にしない。キレるドライバー、大声を張り上げる人、「バカばっかり」と考える人、露骨に不機嫌 or 威嚇的な表情をする人もいない。
10. 日本人は非常に聞き上手である
日本人は常に相手が先に話すように促してくれる。彼らは素晴らしく聞き上手なのだ。日本人はディベート(討論)や自分の価値観を他者に押し付けることより、ディスカス(話し合い)を好む傾向がある。
11. 日本人は民族主義的ではない
心の深いところでは、誰でも自国が世界一だと考えている。だからそれぞれの国の優位性を外国人に説いても無意味なのだ。そして日本には一般的に、「自国が世界最高」という概念はない。
12. Ganbaru
英語には翻訳出来ない言葉。時間的・経済的等の理由で目標の実現が困難な時はすぐに諦めがちだが、日本人は最後の最後まで目標実現のために努力する。
13. 日本では、約束は「必ず果たされるべきもの」である
日本人は、約束したことを実行に移す。そして、何があってもそれを忘れることがない。もし約束を果たせない際は事前に連絡をして謝罪し、時には誰か代わりの人を送り出すこともある。
14. 日本人は責任感の強い国民である
2014年にブラジルで行われたサッカーW杯の期間中、日本のサポーターが自分たちの座席周辺を掃除して世界を驚かせた。しかし、日本に滞在した経験を持つ人なら驚かなかっただろう。彼らは、必ず帰る際に使った場所を掃除するからだ。
15. 優雅でエレガントな振る舞い
私たちが日本人を一言で表現するなら、きっと「優雅」を選ぶだろうか。社会的立場や出身、収入に関係なく、すべての人の振る舞いが上品である。例えば人差し指を人に向ける人はおらず、代わりに繊細な手振りを用いる。身だしなみも整っていて、誰もが笑顔で挨拶を交わし、何か物を相手に渡す際には両手で差し出す。
16. 日本人は常に時間を守る
外国人が日本から学べることの1つは、時間を守ることの重要性である。日本人の時間の正確性からは、他者への敬意が見て取れる。そして日本では全ての物事が他の国よりも信頼出来、また効率的に出来ているのは、時間の正確性によるところが大きい。(サイトからの引用は以上です。)
いかがでしたか
日本人として、確かにそうだなと思わず笑みが浮かぶものも多くありますが、最近はそうでない人も見かけることが多くなった。いや、自分もこの点においては日本人の美徳を忘れて、自己中心的になっているなと反省させられることもありました。
神様を中心にして生きる
やはり日本人はいつも神様を中心にして、神様の前に恥ずかしくない生き方をしたいと思って来たのだと思います。そして、それが尊厳ある生き方であり、喜びのある生き方だと知っていたと思います。自己中心になれば、その時は得したような気になるかもしれませんが、そんな生き方をして一体どうするのでしょうか。神様を中心にして生きるという日本人が大切にしてきた心を失わないようにしましょう。
それでは聖書の続きを読みましょう
聖書は神様を中心にして生きた人々の記録であり、日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでいただきたいと思っています。
新約聖書 使徒の働き 21章31~36節
彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。
人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。千人隊長が近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。しかし、群衆がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。
そこで千人隊長は、パウロを兵営に連れて行くように命令した。パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。大ぜいの群衆が「彼を除け」と叫びながら、ついて来たからである。
ユダヤ人の反対
パウロ自身もユダヤ人であり、決してユダヤ教を否定した訳ではなかったと思います。ユダヤ人はユダヤ教を重んじるべきだとパウロは考えていたと思いますし、パウロ自身もユダヤ教を重んじていたと思います。ただ、神様を中心にして生きるとは、決して異邦人までユダヤ教徒になることではないと主張したために、ユダヤ人から迫害を受けたようです。
ローマの秩序によって守られるパウロ
しかし、だからといって闇から闇へと葬られるということはなく、パウロはローマの秩序、ローマの法によって守られていることも分かります。単なる感情ではなく、理性によって、また良心によって神様の前に何が正しいことなのかを判断することが大切だと思います。
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