本当に子供の為になる教育とは何か

「本当に子どもの為になる教育とは?病院の待合室で見た、とある父娘の素敵な子育て」という記事をご紹介いたします。本当に子供の為になる教育とは何でしょうか。答えは一つではないかもしれません。皆さんはどう考えますか。参考にしてみてください。

子どもの「わるさ」は親の気を引きたいという愛情表現

とある病院の待合室。

この子供たちを観察していて面白いのは、子供って親が嫌がることばかりやるんですね。親が「お願いだからそれだけはやらないで」っていうことを全部やります。

なぜかというと、子供は親の気を引くために必死なんですね。

(確かにそうかもしれませんね。悪意ではないのかもしれません。でも、実際に親は困るし、愛情表現と言われても、そういう屈折した表現の仕方をいつまでもされても困りますよね。どうしたら良いのでしょうか。)

にらめっこをしてくるから、時間を教えて

そんな場面の中で、1人すごい父親がいました。4~5才くらいの娘さんを連れたパパさん。僕の隣に座ったその父親は、娘さんにこんな風に話しかけていました。

「いいかい、今からパパは先生のところにいってくるからね。」

「何してくるの?」娘さんがたずねます。

「パパはねえ、先生と〝にらめっこ〟の勝負をしてくるんだよ。前回は先生に負けちゃったから、今度は負けられないんだ。一つお願いがあるんだけど聞いてくれる?」

「うん、いいよ。」

「今から先生に呼ばれて行って来るから、パパがあのドアから診察室に入ってから何分で帰ってこれるか数えていてほしいんだ。」

「うん、分かった。」

父親は名前を呼ばれて診察室に入っていきました。その瞬間から、父親との約束通り娘さんは指を折りながらカウントをし始めました。

おとなしく待つことと、病院は怖くないという教え

やがて父親は笑顔で帰ってきました。そして娘さんの隣に座るやいなや「何分だった?」とたずねました。

すると娘さんが答えます。「1分55秒だったよ。それで〝にらめっこ〟は?」

「パパが勝ったよ。先生ね、始めはスゴク恐い顔してたけど笑ったらスゴク優しい顔になったよ。本当は優しい先生だったよ。」

「な~んだ、私も行きたかったなあ。」

この会話を隣で盗み聞きしていた僕は、すごい父親が世の中にはいたものだと感動していました。父親は叱ることも怒鳴ることもなく、娘さんを静かに待たせる知恵で見事にコントロールしていたのです。

さらに、子供が嫌がる病院やドクターを楽しいキャラとして娘さんにインプットしている。そして娘さんが言った「な~んだ、私も行きたかったなあ。」という言葉を聞いて僕はハタと膝を打ったのです。

「そうか!子供を育てるということはこういうことか!」と。(サイトからの引用は以上です。)

皆さんはどう思いますか

いかがでしたか。このお父さんは子供を静かに待たせることに確かに成功しました。確かにこのようなアイデアや知恵は参考になりますね。でも、私はもう一つ思うのです。他の人に迷惑をかけずに静かに待つということは大切なことなんだと教えて身に付けさせることもまた大切なことではないかと。

神様を中心にして生きる

それは子供自ら何が正しいことで、神様にも、親にも喜ばれることなのかという視点を持てるようにすることだと思います。多くの大人はまだ小さいから無理ではないかと思っているようですが、意外と3歳くらいの小さい子供でも、そのことを理解して、自ら静かにすることができるということを私は経験から知っています。論理的なことは6歳を過ぎるくらいにならないと理解できないかもしれませんが、善悪は生まれながらに理解できるようです。神様は人間に生まれながらに良心を与えていると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は私たち日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を参考にしていただきたいと思っています。

新約聖書 使徒の働き 28章11~16節

三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。シラクサに寄港して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。

一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。

私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。

ローマ到着

いよいよパウロとその一行はローマに到着しました。ローマは当時の世界の中心であり、西欧世界への入口でもあったと思います。そこで神様を中心とした生き方を伝える。実際にローマに到着したという事実によって、パウロはそれが自分の使命であるという確信をさらに強めたのではないでしょうか。そのように私たちは自分の心に与えられた思いと現実を通して、神様の自分に対する思いをより深く知ることができるのではないかと思います。

西ルートと東ルート

こうして神様を中心にした生き方はパウロによってローマにもたらされ、やがて西欧世界に広がって行くことになります。それは日本に伝えられたルートとは別のルートであったことに注意が必要だと思います。初めイスラエルに与えられた神様を中心とした生き方は西ルートと東ルートに分かれて全世界に広まったのだと思います。

共通していることは神様を中心にして生きるということ

それは西ルートではキリスト教という宗教という形で広まって行きますが、東ルートでは宗教という形態は取らなかったのかもしれません。しかし、大切なことは宗教であるかどうかということではなく、神様を中心にして生きるということだと思います。

いかがでしたでしょうか

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