「日本人と日本文化」調理という神事

寿司職人
日本はトップ

2006(平成18)年に英国のBBC放送が、世界33か国、約4万人を対象に世論調査を行った結果、「世界に良い影響を与えている国」としてトップに挙げられたのが日本だった。この調査は、その後、毎年実施され、日本はその後3年連続で「良い影響を与えている国」第1位を維持したそうです。

日本人の高い技術と伝統

海外でのこうした高い評価は日本人の高い国民性によるところが大きいと思いますが、今日は「調理」について、日本人がどれほど高い技術と伝統を持っているかということを、伊勢雅臣著「世界が称賛する日本人が知らない日本」からご紹介したいと思います。

「調理」という神事に携わる使命感

料理人は、食材の命をいただいて、それを食べ物にするという神事を行っている。自分は、そのような尊い神事を任されているという使命感が、たとえ無意識の中にでも潜んでなければ、何代にもわたっておいしいすっぽん料理を愚直に追及するなどということはできない。

単なる金儲けではない

単なる金儲けが目的だったら、「看板に偽りあり」でも何でも、もっと手っ取り早い道に転向してしまうだろう。そして調理が神事であるからこそ、いただいた食材の命を最大限生かしておいしい料理にしようと努力し、さらにはいただいた人の健康にも良い料理を提供したいという思いが働くのだろう。

日本の高い品質を支える使命感

日本食がおいしく、かつ健康的だという特長は、多くの料理人が先祖から子孫へ、先輩から後輩に伝えられる伝統の中で、神事に携わる使命感を感じとって、愚直な努力を何世代も続けているところからきている。こういう努力が積み重なって、いまや世界の人々に好かれるほどに、日本料理はおいしく健康的になったのである。

それは生き方

日本料理に携わる人々が(それは必ずしも日本人に限らないが)、この日本の文化伝統をより自覚して取り組むことで、日本料理はさらに世界の人々に愛されていくだろうし、また、調理人のそのような生き方自体が海外の人々にも貴重な示唆を与えるだろう。そうなれば、我が国は国際社会に対して、ますます良い影響を与えていくだろう。(本からの引用は以上です。)

「調理」だけではない

「調理」だけではなく、日本刀を打つなどの物造りもまた日本人にとっては単なる労働や作業ではなく「神事」だと思います。白装束に身を包み、刀に魂を吹き込むのだと思います。また、日本の物造りは世界最高水準にあると言われますが、その多くは小さな町工場の技術者によって支えられています。その一人一人が「神事」のごとくに、物造りに取り組んでいるからだと思います。

神様を中心とした生き方

つまり、日本人にとって「調理」も「物造り」も神様を中心とした生き方そのものだということだと思います。決して自己中心ではない。世界最高水準の品質はこのような生き方から生み出されていることを思わされます。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰や生き方は聖書にルーツがあると思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心に触れるためにも聖書を読んでいただきたいと思います。

新約聖書 マタイの福音書 7章7~11節

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

神様に求める

イエスにつき従って来た群衆に語られたイエスの言葉の続きです。イエスは神様のことを「天におられるあなたがたの父」と呼びました。そのような親しみと信頼をもって、子供が父にお願いするように神様に求めなさい。そうすれば神様は必ず良い物を与えて下さる。神様を中心にして生きるとはそういうことでもあることをイエスは教えたのだと思います。

信頼して行動する

目には見えませんが、そういう神様が確かに生きて働いておられる。そういう神様に信頼して生きること。目に見える世界が全てだと考えないで、神様は必ず良い物を与えて下さると信頼して、神様に求め、捜し、たたく。つまり行動すること。それが神様を中心にした生き方だということだと思います。

求めないのは自己中心ということ

現状に落胆して、自暴自棄になって、悲観的になって、いじけて、行動しないのは自己中心でもあると思います。確かに生きていれば困難もあるし、思い通りにならないこともあると思います。しかし、絶望しないで、落胆しないで、見える現実だけで判断しないで、神様はおられること、必ず良い物を与えてくださること、そういう希望を持って、神様に期待して行動すること。それが神様を中心にして生きるということだと思います。太古の昔から、日本人はそうやって生きて来たのだと思います。

神様を中心にして進みましょう。世界最高水準の日本品質の秘密はそこにあると思います。皆様の上に神様の祝福が豊かにあることをお祈り申し上げます。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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