「日本人と日本文化」公という日本人の心

田植えをする家族

「公に奉ずる」の「公」とは、「おおやけ」、すなわち「大きな家」という意味である。国全体を一つの「大きな家」だと見なし、その家族一人ひとりがそれぞれの働きを通じて、「大きな家」を支えることが、「公に奉ずる」ということである。

そういう生き方を理想とするのが、我が国の国柄であり、明治日本の急速な隆盛も、戦後の奇跡的な復興も、多くの国民がそれぞれの場で奉公に勤しんだ事が原動力となっていると伊勢 雅臣氏は「 世界が称賛する日本人が知らない日本」という本の中で述べています。 以下、本から1つのエピソードをご紹介いたします。

オーストリア人が見た日本の工場

明治11(1878)年に日本を訪れた、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人で地理学研究者グスタフ・クライトナーが染料の藍を作る工場を訪れた時のこと。

工場の建物を出る前に、わたしたちは女工が朝食を食べているところを見物した。およそ100人が、ふだん着姿で、椅子や木机に腰掛けて飯を食べていた。わたしたちが入っていくとひとりの女工が笑い出し、その笑いが隣の子に伝染したかと思うと瞬く間に全体にひろがって、脆い木造建築が揺れるほど、とめどのない大笑いとなった。陽気の爆発は心の底からのものであって、いささかの皮肉も混じっていないことがわかってはいたが、わたしはひどくうろたえてしまった。(G・クライトナー著小谷裕幸・森田明訳『東洋紀行1』平凡社より)

箸がころんでも笑う年頃の娘たちにとって、初めて見る西洋人の姿は、可笑しくて仕方がないものだったのだろう。『女工哀史』は一面の事実を伝えていようが、哀しい生活ばかりだったら、こんな心の底からの「陽気の爆発」もありえない。

マルクスは19世紀ロンドンの悲惨な労働者階級を見て、階級闘争史観に基づく共産主義思想を生み出したが、同時期の日本の労働者の姿を見ていたら、もっと明るい平和な思想を生み出したかもしれない。

我々の祖先は物質的には豊かではなかったかもしれない。しかし、富はなくとも幸せな共同体をつくる知恵を持っていたのだ。微笑みをこめて挨拶をする、元気に愛想良く仕事に取り組む、笑いやユーモアを大切にする、子供に愛情を注ぐ。そういう簡単なことが幸福な共同体をつくる近道であることを、我々の祖先たちは教えてくれているのである。(本からの引用は以上です。)

神様を中心にして生きる喜び

それは強制的な労働でも、搾取でもなかったということでしょう。もちろん働くことには、それなりの労苦は伴いますが、喜びもあります。自己中心でも、人間中心でもなく、神様を中心にして生きる喜びを日本人は知っていたからだと思います。このような日本人の心を大切にしたいと思います。ポイントは神様を中心にすることだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は日本人の信仰と生活と深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人として、神様を中心にして生きるために聖書を読んでいただきたいと思います。

新約聖書 マタイの福音書 8章5~13節

イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。」イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」

しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは治ります。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」

イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。

あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国(みくに)で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。

神様の権威

百人隊長とはユダヤ人ではなく、ローマの百人隊長です。彼は軍人らしく、権威とは何かということを良く理解していたした。そして、イエスには神様からの権威が与えられているから、ただおことばをいただければ、それでしもべの病気は治ると考えていたのだと思います。

神様の権威を知っているという信仰

イエスは神の民であるイスラエルのうちにもこのような信仰は見たことがないと称賛しました。神様を中心にして生きるとは、ユダヤ教徒であるかどうかということではなく、このように神様の権威を知って生きることであることが分かります。

神様を中心にして生きていた百人隊長

また、その権威は人々を助けるための権威であって、決して人を抑圧したり、搾取するための権威ではないことも、この百人隊長は良く理解していたのではないでしょうか。しもべとは部下ではなく、召使いであり、奴隷のことだと思います。この百人隊長はしもべが病気であることに対して、このように心配していました。このような主人に仕えることができるしもべは何と幸いなことでしょうか。

恵み豊かな神様の権威

神様を中心にして生きるとは、このような恵み深い権威を知ることであり、神様の権威の下に生きる者は、この神様の豊かな恵みを実感できるということだと思います。日本人は太古の昔から、そのことを知っていたのだと思います。

いかがでしたか

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの人に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、お知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

■お知らせ■

2017年5月11日(木)19:00~20:00 泉パークタウンタピオ(仙台市泉区寺岡6丁目5-1)南館1階パークタウンスタイルで「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」と題してお話しいたします。入場無料、予約不要です。ぜひお出で下さい。詳しくはホームページのインフォメーションをご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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